会社の同期の同僚が今年の3月いっぱいで会社を辞めるらしい。理由はまあ、どちらかと言えば後ろ向きなものだ。その同僚は物知りで色んなことを教えてくれて、だけどそれがウンチクを垂れるような押し付けがましさがなくて、わたしは彼のことが結構好きであった。辞めると聞いたときには『ああ、辞めるのかー』と残念な気持ちになったが、一方で特に悲しい気持ちにはならなかった。意外と心は平穏。心のどこかでは全然悲しんでいない自分に少しビックリしている部分もあるが、無理やり悲しむのも何か違う気がする。こういうときって、まるで悲しむのが正解の感情のように思ってしまうけど、今の会社がしんどくて辞めるのであれば、そこから解放されて良かったねの方が正しいんじゃないだろうか。実際、辞める同僚も結構スッキリした表情をしている。勝手に相手の気持ちを想像してそこに感情移入してしまうことほど、盲目的でひとりよがりな行為もないだろう。最後に同期で送別会をしようとなったけれど、コロナウイルスが怖いからやっぱり中止にする?なんて話も出ていて、同僚が辞めるとなっても意外とみんな現実的だ。会社を辞めることなんて人生であるっちゃあることだろう。冷静に考えてみれば、そんなに悲しいことでもないし。こういうとき、つい話を大きくしてしまうことになるけれど、『まあ何も死ぬわけじゃないし』なんて考えにも至る。でもわたしがそんな風に考えるときには、『生きていれば、いつかまた会える』といったポジティブな思考がそこに含まれているわけではなく、ただただ本当に死ぬわけじゃないと思うだけだ。実際、薄情かもしれないが再開を期待するほど後ろ髪を引かれるわけではない。いや、ここではわたしは会社に残る方だから、後ろ髪を引くほうか。まあなんにせよ、辞めていく同僚に対して残念ではあるがそれほどの名残惜しさを感じてはいないのだ。しかし、その同僚のことが好きというのは嘘ではないから、人間の感情っていうのはそれほど単純に言い表せられるものではないなと思う。そんな風に割り切れるのは、辞める同僚が目に見えて精神的にズタボロになっているようには見えないからでもあるのだろうが。自分以外の人間にも悩みがあり眠れない夜を過ごすことがあるなんて当たり前のことなのに、本当の本当に心の底からはその事実を実感することはできない。自分が本当に実感できるのは、自分の身に起きた辛いことだけである。本当にみんな悩んだりしてるんだろうかなんて考えてしまうときもある。
話は変わって、雑誌ダ・ヴィンチの短歌投稿コーナー「短歌ください」の投稿者のひとりであった冬野きりんさんが、ハイパーミサヲというリングネームのプロレスラーになっていることを最近知り驚いた。
冬野きりんさんといえば
ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる
という短歌が有名で、確かにこの短歌を初めて読んだときにはガツーンって感じの衝撃を受けた。神聖な生き物であるペガサスに殺人を期待する倒錯感により、はち切れんばかりの切実さが表現されている。これはやっぱり愛憎の歌なんかな。そして、こんな繊細な短歌を作る女性がプロレスラーになっていることの衝撃。セカンドインパクト。ペガサスが人を殺すことぐらい、この短歌を作った人がプロレスラーになっているのは衝撃的だ。だって完全なる偏見ではあるけれど、プロレスラーって野蛮なイメージがあって、まさか過去にこんな短歌を作っていたなんて想像できないじゃないか。本人も自分でそんなことを言っちゃってるし。
約10年前の私は穂村弘先生のやばいオタクで冬野きりんという名で雑誌に凸しまくりその狂気じみた愛が実り単行本の帯に選んでもらったりしてたんだけどまさかあんな繊細な作風の少女がその後こんな仕上がりの女子プロレスラーになるとは
— ハイパーミサヲ Hyper Misao (@misao_tjp) 2020年2月2日
冬野きりん=ハイパーミサヲ
短歌界隈の夢を破壊#tjpw #穂村弘 pic.twitter.com/KwtCCWeNKm
わたしからしたら、冬野きりんさんがプロレスラーになるなんて想像もしていなかった!って感じであるが、自分の人生を連続的に生きている彼女自身からしたら、短歌くださいに投稿していたころからプロレスラーになるに至るまでの間を振り返って、自分が変わった瞬間がはっきりと分かるほど急転換な人生だとは思っていないかもしれない。ていうかそもそも、ペガサスの短歌を歌う冬野きりんと、プロレスラーであるハイパーミサヲは共存しうるものであろう。勝手な偏見でプロレスラーは繊細じゃないと心のどこかで決めつけてしまっているが、そりゃあプロレスラーにも繊細な一面があるなんて当たり前のことであるし、ていうか繊細な一面があるどころか他の人と何も変わらないぐらい同じように繊細だろうよ。とはいえ、この短歌を作りながらもプロレスラーとしてリング上で戦っていると思えば、その演技力たるや、もう本当にプロレスラーなんだなと思ってしまう。今も短歌を作っているのかは知らないけれど。
と、冬野きりんさんが過去に短歌を作っていて、そして今はハイパーミサヲというプロレスラーになっている事実があったからこそ、プロレスラーにも繊細な一面があるなんてことを考えたが、普段はわざわざこんな風にプロレスラー相手にそんな一面がありそうだなんて想像力を働かせることはない。同僚が実は影で悩んでいたことだって、会社を辞めることにならなければ想像もしなかった。とはいえ、毎日のように他人の感情を想像し続けていたら、それはそれでしんどい。人間、互いに分かり合うためには思いやる気持ち、想像力が大切だって、それは本当にそうだと思う。でもやっぱりそれは、何か今回のように想像力を働かせるキッカケがないと難しい。そう思うと普段、自分は他人のことなんて全然考えていないんだなあと感じてしまう。思っている以上に、自分は自分のことを考えるだけでいっぱいいっぱいのようだ。
そしてプロレスラーと言えば、最近読んだ葛西純のインタビューがめちゃくちゃかっこよかった。
インタビューを読んでいて、こんなに疾走感というか、ドライブ感を感じたのは初めてだ。読んでいて清々しいほど、人生に対してシンプルな哲学観を持っている。デスマッチなんて痛いし、怖いし、意味が分からないと思う人もいるかもしれない。しかし、このインタビューで葛西純が話しているように、デスマッチの醍醐味は「生きている」という実感と言われれば、どこか納得してしまう部分もある。これも想像力の話と同じで、日常の中で埋もれてしまっている生きている実感を感じるには何かキッカケが必要であり、葛西純にとってそれは死ぬかもしれないと危険が伴うデスマッチなのだろう。彼はインタビューで
ああ、今日も生きて帰ってきたぞって。これぞデスマッチの醍醐味なんです。この感覚は麻薬です。一度知ってしまったら、もう止められません。
と話している。これはもう完全にデスマッチ、死の魅力に取り憑かれている。
父は3年前に亡くなりましたが、その少し前にも「純、血だらけになることはもうやめて北海道に戻ってこい」と言われました。そう考えると、親父との勝負は僕が勝ちましたね。血みどろになって体を傷めつけて、親不孝なことをしているとは思います。でも、止められないです。
自分がデスマッチで死ぬのと、親父が寿命で死ぬのを競った結果、最終的には自分が生き残り、「親父との勝負は僕が勝ちましたね。」と言うなんて、ちょっとまともじゃない感覚。でも自分に酔ってる感じが微塵もせず、その言葉から恐ろしいほどに力を感じるのは、彼がわたしなんかよりも本当に命をかけて生きているからなんだろう。マジで生きてる感がすごい。さっきはプロレスラーも人並みに繊細であろうなんて言ったけれど、葛西純はわたしのようなパンピーとは完全に異なった価値観をもっていそうだ。わたしは同僚が会社を辞めるとなったときに『死ぬわけじゃない。』なんて考えたけれど、葛西純は下手すりゃ死ぬことを生業としているから、多分、人生の様々な場面におけるものの感じ方はわたしとは全く違うんだろう。「死んでるみたいに生きたくない。」とは思いながらも、彼のように実践できる人は果たしてどれだけいるのだろうか。時に穂村弘は短歌を「共感」と「驚異」という言葉を用いて解説している。「共感」は、すでに受け手の中にある価値観を呼び起こすものであり、すでに自分の中にあるからこそ安心して受け入れることができる。それに対して「驚異」は、自分の中にはない、外部から持ち込まれた新しい価値観であり、それを受け入れるためには自分が変化しなければならない、つまりそこには今の自分の「死」が伴うため、そう簡単に受け入れることはできないものである。しかし、人類に新しい価値観をもたらし進化させるのは「共感」ではなく「驚異」のほうであり、これがなければ世界は更新されずに滅んでしまうと穂村弘は言う。これを受けて思うのは、葛西純もきっと驚異側の人間。普通に生きている人とは違う生き方だからこそ、普通の人では到達できない景色を見ることができる。そして、そんな彼のデスマッチを見ることで、我々もそんな驚異の一部分を体感させてもらえる。
レスラーは試合でお客さんを喜ばせるだけじゃない。リングで自分の生き様を見せることで、お客さんに「明日も頑張ろう」「明日も生きよう」と思わせて、その人生に何らかの影響を与えることだってできますから。実際、そういう生の声をもらうと、僕が痛みを引き受けながら、リングで生きる意味があるなと思えるんです。
なんちゅうカッコ良さ。
とはいえね、やっぱり葛西純みたいにはなれそうにない。だって、このダイブはヤバいっしょ。
この高さから飛び降りるって頭おかしい。普通に怖いやろ。ていうか本人もやらないに越したことはないって言ってるし。それでも、このダイブを見て周りの観客か興奮している。すごいわ。