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呼び起こされる個人的ノスタルジア(楠見孝 編「なつかしさの心理学」)

大学生の後半あたりから、やたらと昔を懐しむことが多くなってきたのだが、そもそもなぜ懐かしい気持ちになるのだろうとずっと気になっていた。自分の思い出に由来する懐かしさもあれば、全く身に覚えがないはずのものから感じる懐かしさもある。これは一体どういうことなんだろうと考えていたところで、この本に出会った。

 

なつかしさの心理学: 思い出と感情 (心理学叢書)

なつかしさの心理学: 思い出と感情 (心理学叢書)

  • 発売日: 2014/05/25
  • メディア: 単行本
 

 

この本の帯文には以下のようなことが書かれている。

 

過去がいつの間にか美化されているのはなぜか

久しぶりに訪れた小学校が縮んで見える?

体験していない大正時代がなつかしいのはなぜか

なつかしさを感じる商品はよく売れる?

 

うーん気になる。ただ先に書いておくが、これらの疑問に対して期待していたほどのスッキリとした回答が書かれているわけではなかった。というのも、懐かしさという感情に関する研究は、注目され始めてはいるがまだそれほど進んでいるものではなく、まだまだ明らかでないことの方が多いようなのだ。とはいえ、これらの疑問の回答に繋がるような示唆は十分に含まれていた。

 

まず、懐かしさ(ノスタルジア)*1は大きく2つの種類に分けられる。

 

・個人的ノスタルジア

・歴史的ノスタルジア

 

これらのなつかしさは、タルヴィングの記憶のモデルを用いて説明される。タルヴィングの記憶のモデルとは、記憶は以下の3つに分けられるといったものだ。

 

①自分の人生で経験した個人的、自叙伝的物事に基づく「エピソード記憶」

 

②テレビや本などを通して学んだ知識に関する「意味記憶」

 

③知っているという感覚がない無意識レベルの記憶である「知覚表象システム」

 

この3種類のなかで、個人的ノスタルジアは①「エピソード記憶」に基づくもの、歴史的ノスタルジアは②「意味記憶」に基づくものと考えられている。簡単に書くと、個人的ノスタルジアは自分自身の思い出に由来する懐かしさ、歴史的ノスタルジアは学んだ知識に由来する懐かしさということになる。そして、

 

"個人的ノスタルジアにあって歴史的ノスタルジアにないもの"とは、過去から現在へとつながっている自己の存在および自己と他者の関係

 

とこの本には書かれている。このことから、個人的ノスタルジアは人とのつながりから喚起されることになる。なるほど、自分の人生を懐かしんで感じる個人的ノスタルジアは、家族や友人、クラスメイトたちなど、人との関りに関する思い出から来るものがほとんどだ。一方、神社仏閣、海や山、川から感じる懐かしさについて考えてみると、実はこれらに関する個人的な思い出がそれほどないことに気がつく。わたしにとってこれらから感じる懐かしさは、映像や書物で学んだ知識からくる歴史的ノスタルジアということになるのだろう。そして、この実体験を伴っていない歴史的ノスタルジアは、何度も味わうと食傷気味になってしまうこともあると本書には書かれている。

 

これらのことを踏まえて、以前に書いたこの記事を振り返ってみたい。

 

www.gissha.com

 
この記事では、わたしが個人的に「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」は好きなのに、それのリメイク作品である「サマーウォーズ」は全く好きじゃないのはなんでなのだろうといったことを書いた。ぼくらのウォーゲームとサマーウォーズの比較。デジモンアドベンチャーを見て感じるノスタルジアは完全に個人的ノスタルジアだ。なんでも自分が小学生のころに実際に見ていたという実体験が伴っているし、団地という舞台設定から、当時団地に住んでいた友達や団地鬼ごっこをしたことなどが思い出される。これはもう個人的ノスタルジアの詰め合わせである。一方で、サマーウォーズ。舞台は田舎。わたしはサマーウォーズに出てくるような田舎には行ったことがない。だから、わたしにとってこれは歴史的ノスタルジアなのである。つまりは、サマーウォーズがぼくらのウォーゲームのリメイク作とはいえ、リメイクによって変更された点によって、わたしにとっての個人的ノスタルジアの要素がゴッソリと欠けてしまったために、ぼくらのウォーゲームほど好きにはなれなかったのだろう。さらには、このように懐かしさの象徴として田舎を舞台にした作品は数が多いため、それに少し飽きてしまっている部分もある。

 

しかしわたしとは異なり、夏の海や田んぼなどの田舎の風景にえげつないほどの感傷を覚える人もいる。その中には、実際に田舎に関する思い出をもっていないにも関わらず、ノスタルジアを感じている人もいるのだろう。この人たちはおそらく、実際には田舎に行っていなくとも、幼少期や思春期などの多感な時期に田舎を舞台とした芸術作品に強い感銘を受け、大人になってから田舎が舞台である作品を見ると、意識的もしくは無意識的にその感銘を受けた芸術作品のことを思い出し、その作品に紐づいた多感な時期の思い出までが掘り起こされるために個人的ノスタルジアを感じるのではないだろうか。ジブリ作品から感じる懐かしさも同じもののように思える。自分が幼いころにジブリの作品をよく見ていて、大人になってから金曜ロードショーなどで放送されているものを見たときに、その幼少期の記憶が思い出されて個人的ノスタルジアを感じるのではないだろうか。わたしは子どものころはジブリが嫌いだったから、ジブリ作品から懐かしさを感じることはない。もののけ姫のアシタカの腕がグジャグジャっと呪われるところや、ナウシカの大きな虫の大群、さらにはホタルの墓の悲しいイメージなどからジブリがめちゃくちゃ苦手だった。だからわたしは、トトロを見ても全く懐かしい気持ちにはならない。かまいたちの山内もきっと同じ。わたしの場合は、同じアニメでも「幽☆遊☆白書」や「らんま1/2」の方が小学生のころの夏休みに朝のアニメ劇場で見ていたから懐かしく感じる。とはいえ、作風的にそれほど感傷には浸れないが。それでもジブリの音楽に携わっている久石譲の楽曲からは懐かしさを感じる。これは一体なぜだろうと「久石譲 懐かしさ 理由」で検索したところ、1発目にこのサイトがヒットした。

 

anotherdaycomes.com

 

なるほど、久石譲の「Summer」のイントロには学校のチャイムと同じ音階が使われており、このイントロを聴くことで潜在的に学校のチャイムを思い出し個人的ノスタルジアを感じていたのか。

 


Joe Hisaishi - Summer

 

他にも、となりのトトロの挿入曲である「風の通り道」には、演歌や歌謡曲でよく使われる二六抜き音階が使用されており、これが懐かしさを感じる要因と考えられている。

 

night-cap.net

 

久石譲の楽曲には色々と仕掛けが隠されているようであり、ジブリからは懐かしさを感じない自分が久石譲の楽曲からは懐かしさを感じる理由が少し分かった気がする。

 
そして、音楽から来るノスタルジアといえばvaporwave。実際にわたしは70、80年代のシティポップを聴いていたわけではない。めちゃくちゃ幼かったしね。それでもvaporwaveの中にはノスタルジアを感じる作品がいくつかある。

 


ΛDRIΛNWΛVE - it's good to see you again!!

 


ナニダトnanidato - doki doki no disco ドキドキのディスコ 『FUTUREFUNK』 X 甘い日本のディスコ'89

 

それはまたまたなぜだろうと考えてみたところ、ひとつだけそれっぽいことに気がついた。それは、わたしの好きなvaporwaveの作品のGIF画像には、後藤真砂子が作画監督を務めたことのあるアニメが多いということだ。

 

w.atwiki.jp

 

「きまぐれオレンジ☆ロード」に「魔法の天使クリィミーマミ」。そのどちらのアニメも幼い頃に見た記憶は全くないのだが、同じように後藤真砂子が作画監督を務めていたアニメ「らんま1/2」は、小学生のころに朝のアニメ劇場で再放送されていたものを死ぬほど何度も見ていた。「きまぐれオレンジ☆ロード」や「魔法の天使クリィミーマミ」の絵柄から「らんま1/2」が喚起され、そこから幼少期の懐かしさが思い出されたのかもしれない。これは個人的ノスタルジア。さらにはノスタルジアを感じるには、現在とのある程度の連続性が必要とも本書には書かれている。ちょうどvaporwaveが流行したころはシティポップのリバイバル期。vaporwaveでサンプリングされている楽曲たちの影響を受けたアーティストたちの音楽が流行していたことも、ノスタルジアを感じた要因の一つかもしれない。ややこじつけ感あるけど。

 

そして、多くの人が青春時代を思い出すバンドといえばNUMBER GIRL。このNUMBER GIRLは2002年に一度解散した後、最近再結成がなされた。正直、NUMBER GIRLの再結成に際しては、わたしは何の感慨ももたなかった。というのも、わたしは青春時代にNUMBER GIRLに夢中になっていなかったからだ。先日、コロナの影響を受けてYouTubeで生配信していた無観客ライブもカッコ良かったけれど、ノスタルジアを感じることはなかった。NUMBER GIRLに感傷を覚える人たちは、自らの思春期において、彼らによる衝撃を受けた人たちなのだろう。さらには、実際にNUMBER GIRLの歌詞のような青春を過ごした人はそれほどいないだろうが、彼らの歌詞の青春っぽさは歴史的ノスタルジアとして十分に作用し得るものであり、それが個人的ノスタルジアと相まってえげつないほどの感傷を引き起こすのだろうよ。とはいえ、ノスタルジアは感じなかったとは書いたが「YOUNG GIRL SEVENTEEN SEXUALLY」の入りはめちゃくちゃカッコ良かった。「わっかるかなあ。わかんねえだろうな。」という向井秀徳の謎のセリフから、ギターがジャーンジャーンジャッジャッジャッジャッ。なんやこれ、かっこよすぎ。わたしがNUMBER GIRLに夢中にならなかったのは、入り口のアルバムが間違っていたからかもしれない。中学生のころ、とりあえず手に取ったNUMBER GIRLのアルバムは「SAPPUKEI」であり、齢14のわたしには、いささかこのアルバムは尖り過ぎていた。

 

SAPPUKEI 15th Anniversary Edition

SAPPUKEI 15th Anniversary Edition

 

 

NUMBER GIRLのフォロワーであるBase Ball Bearの「HIGH COLOR TIMES」にはちゃっかりハマっていたから、NUMBER GIRLも「SCHOOL GIRL BYE BYE」から入っていたらハマっていたかもしれない。

 

HIGH COLOR TIMES

HIGH COLOR TIMES

  • アーティスト:Base Ball Bear
  • 発売日: 2005/03/16
  • メディア: CD
 
SCHOOL GIRL BYE BYE

SCHOOL GIRL BYE BYE

 

 

とはいえ人生は一期一会。良さがさっぱり分からなくて挫折したこと、それだけがおれのNUMBER GIRLに対する個人的ノスタルジア。

 

話が個人的なものに逸れてしまったが、この本にはその他にも、ノスタルジアは退屈な気分のときに感じやすい、ノスタルジアを感じるとポジティブな気分になる、ノスタルジアを感じている間は痛みに耐えやすいなどといったことが書かれている。こんなことを知ると、昔のことを思い出して懐かしもうとする行為は、まるで自己防衛本能のように思えてきた。いまが退屈でネガティブな感情になっていて辛いから、ノスタルジアを感じてポジティブな気分になろうとし、やたらと昔を振り返るのだろうか。そんなことはないと信じたいけれど、深層心理の自分よ、そこんとこはどうなんだい?

 

*1:この本では「懐かしさ」と「ノスタルジア」は同じ意味で使われているが、厳密には意味が異なるとも考えられている。例えば「ノスタルジア」は「懐かしさ」とは異なり、“感傷を伴う懐かしさ”とより一歩踏み込んだ意味であると提唱する論文もある(長峯聖人・ 外山美樹 (2018). 本邦におけるノスタルジアの機能的特徴 ―感傷を伴う懐かしさという観点から ― 筑波大学心理学研究, 56, 21-26.)
また、ノスタルジアと同じ意味でよく使われるノスタルジーはフランス語である(ちなみにノスタルジアは英語)。