NHKのBSプレミアムで放送されていた番組、ニッポン印象派の「東京 春の宵」が素晴らしかった。
番組冒頭、中国の詩人である蘇東坡の残した詩の一節「春宵一刻値千金」が紹介されていた。春の宵のひとときは素晴らしく、どんな千金にも代えがたいということを意味するこの言葉。その言葉の通り、美しい東京の春の宵の風景を、その風景にあった俳句を織り交ぜながら紹介するという番組の内容。紫色にライトアップされたスカイツリーや向島百花園の梅の花、浅草の伝法院にある枝垂れ桜に、隅田川や目黒川の桜などなど。なんといっても映像が高画質で綺麗すぎる。見ていると、春の夜の桜の妖しさに魅了され、外に出かけたくなってくる。
そして、春の夕方から夜にかけての移り変わりを表す俳句の言葉たち。少しずつ日が長くなってきた春の夕べを詠った次の俳句、
何として春の夕をまぎらさん
正岡子規
がとても気に入った。冬に比べて春には夕べが明るくなり、一日が長くなったように感じる。しかし、そんなせっかくの時間を手持ち無沙汰になり持て余してしまう。春の夕べをうまく過ごすには、どのようにすればよいのだろうと悩んでしまう。ただ、そんな風にして悩みながら過ごすその時間自体が、とても贅沢なひとときのように思える。
小石川植物園のたくさんの桜の木も壮観だ。
桜の花がスローモーションで散っていく映像に合わせて、
目つむれば若き我あり春の宵
高浜虚子
なんていう俳句を詠まれれば、誰だって否が応にも感傷的になってしまうのではないだろうか。小石川植物園の映像で柴田聡子の「芝の青さ」を思い出し、より感傷的になる。
柴田聡子の新作は、すっかり垢抜けていてすごくポップで良かったけれど、このころも好きです。
梅や桜などの植物ばかりでなく、東京の夜の街並みも美しい。夜、東京のビルの上にポツンと浮かぶ満月。その満月を詠った
春の月 慈母のごとくに 翳りなし
塩崎晩紅里
という俳句。月の明かりはなぜこんなにも優しく見えるのだろうか。月は女性の象徴とされることがあり、この慈母のごとくという表現もなぜか自然と受け入れられる。実際、女性の生理的なリズムは月のリズムと一体となっていると聞いたことがある。それにしてもこの番組の映像、本当に心が癒される。東京タワーの骨格の隙間から見えるゆっくりと上昇していくエレベーターの姿が、なぜかわたしの心に刺さった。
寒さが和らぎ夜が過ごしやすくなってくると、散歩に出かけたくなるね。最寄駅のひとつ前の駅は、そこで降りても全然家まで歩ける距離にあるから、あえてその駅で降りることがよくある。そして、歩きながら音楽を聴くのがいい。今は自転車通勤だから音楽を聴きながらといったことはできないけれど、大学生のころは電車通学であり、電車の中で駅から家までの道すがらに聴くプレイリストを作成するのが楽しかった。振り返ってみれば、あれは結構な至福の時間だったような気がする。よく流していたのはこんな曲たちだった。
特にリズムステップループスによるtofubeatsの「水星」I'm at ホテルオークラ_MIXはめちゃくちゃ聴いた。正直、原曲よりも好きだ。何よりジャケットがいい。神戸のハーバーランドにあるホテルオークラの写真。tofubeatsの出身地が神戸であり、原曲の「水星」のロケ地も神戸であることから、この写真が選ばれたんだろう。神戸によく通っていた人には、このジャケットにグッとくるものがあるでしょうよ。曲自体は、竹内まりやの「plastic love」を引用してリミックスされており、このリミックスはセンス抜群ではないでしょうか。そしてこの竹内まりやの「plastic love」は今、海外で人気となっている。
近年流行したVaporwaveやFuture Funkなどによって日本のシティポップが海外で発掘されている影響を受けてのようだ。
そして、巡り巡って「水星」の本家であるtofubeatsが、竹内まりやの「plastic love」をカバーするといったなんとも面白いことになっている。
花見なんてこれまでしたこともないけれど、仲のいい友達と規模は小さくてもいいから夜桜を見ながら話すのもいいかもなあと、この番組を見て思った。そして帰り道には、花見の余韻を味わいながら音楽を聴きながら歩いて帰るのもいいんじゃないでしょうか。