牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

スポンサーリンク

秋の夜の川で鳴いているのは多分鈴虫

最近はすっかり気温が落ち着いてきまして、半袖を着ていると日中はちょうどいいぐらいの涼しさで汗をかくことがなくなってきた。太陽も18時ぐらいには姿を隠し始める。今年の夏は梅雨がずっと長く続いていて、それが明けて一気に暑くなったかと思うと急に涼しくなって、なんだかジェットコースターみたいで一瞬で終わってしまったような感覚。でもこれは夏だけのことではなくて、今年は全体的になんとも時間が経つのが早い。9月がもう終わろうとしているなんて信じられませんって感じ。これもコロナウイルスのせい。ホンマにそうやと思う。人間は楽しい思い出を作って、それを思い出してはひっかかることで時間の流れに少しだけ抵抗できるのかもしれないと、逆にコロナウイルスのおかげで気づけた。逆にね。

 

柴崎友香の「きょうのできごと」を読み返す。

 

きょうのできごと (河出文庫)

きょうのできごと (河出文庫)

  • 作者:柴崎友香
  • 発売日: 2004/03/05
  • メディア: 文庫
 

 

登場人物のひとりであるかわちくんが動物園のホッキョクグマに向かって、小学生のころに絵の具を投げつけて食べさせてしまったことを心の中で延々と謝罪するシーンを読んで、自分の小学生のころを思い出した。いまとなれば別に心配するほどでもない些細なことに対していちいち不安になっていたのは、自分の生きている世界がまだまだ狭かったから。わたしは小学校の情報の授業で自分の名前をネットで検索した時に、自分と同姓同名の指名手配犯がヒットしてめちゃくちゃ不安になった。名前が一緒なだけで自分のことなわけがないのに、『おれ、ヤバいんやろか・・・』と頭がズシンと重くなった。幼いころを思い出しては「あのころは大した悩みなんてなかったなあ。」なんて言う人がいるけれど、いまは大した悩みに思えないことが当時はめちゃくちゃ大した悩みだったもんだから、あのころはあのころで大した悩みなんてめちゃくちゃあったんですよと言いたくなる。

 

 

柴田ヨクサルの「東島丹三郎は仮面ライダーになりたい」のこの話みたいに、漫画やアニメのキャラが死ぬだけでも、心がざわついては不安な気持ちになっていた当時。死ぬのとか、そんなんインパクトが強すぎる。死ぬと思って読んでないから。そう思うと、大人になってずいぶん図太くなったもんよと思わないこともない。いまはいまで別の悩みがあるけれど。そして、続編の「きょうのできごと、十年後」も買って読んだ。

 

きょうのできごと、十年後 (河出文庫)

きょうのできごと、十年後 (河出文庫)

  • 作者:柴崎友香
  • 発売日: 2018/08/04
  • メディア: 文庫
 

 

二作品とも夜の時間の描写が多くて、涼しくなってきたこともあって、読んでいるとやたらと夜の散歩に行きたくなった。っていうことで、近所の河川敷を散歩しに行った。

 

いまの季節に夜の川を歩いていると鈴虫の鳴いている声が聞こえてくる。平安時代には鈴虫を籠に入れてその鳴き声を楽しんでいたようだが、それも納得できるほど澄んだ音色。って書いたけれど、実際に鈴虫が鳴いている瞬間をこの目で見たことがないから、この河川敷の夜に隠れて鳴いているのは多分鈴虫って話。しばらく歩いて音楽でも聴こうかなんて考えたけれど、ときおりなんにも考えずに歩きたいときがあって、それが今だなと思って、音楽を流してしまうと意識がそっちに引っ張られてしまうから、そのまま何もせずに普通に歩くことにした。お風呂で頭を洗っていたり、歩いていたりするときの、その行動に(無意識に)集中していて頭で何も考えずに済んでいる時間って、結構大切なんじゃないかと大学生ぐらいから感じ始めた。なんで大切かは言葉にできないけれど。

 

河川敷を離れて大きな道に出て家の方向へとUターンする。ミルクティーが飲みたくなってきて、途中のコンビニに寄ることにした。お茶と水を除く飲み物って、ストローで飲んだほうがなんだか美味しい気がする。だから、持ち運ぶにはペットボトルが便利だけれど、ストローで飲めるものを買うことにしようと店内の一番奥の棚へと向かう。ストローで飲むタイプのミルクティーには、紙パックのものと、フタがプラスチックになっている円筒状のもの(チルドカップと言うらしい)があるが、紙パックのほうは高校生のためのものであり、自分は高校生ではないから後者の方を買った。チルドカップは量も少ないし値段も別に安くはなくておそらく一番コスパが悪いのだけれど、先ほども書いたようにストローで飲めるし、なんだか美味しく感じられるからつい買ってしまう。そう言えば、自分はまだプラスチック削減のために最近出てきた紙で出来たストローで飲んだことはないなと思う。紙ストローで飲むとなんだか美味しくないなんて声を聞くが、反対にニコルソン・ベイカーの「中二階」には、昔、紙ストローからプラスチックストローに変わった際の文句が、半端じゃない量の注釈として書かれている。

 

中二階 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
 

 

ストローがコーラの缶から浮き上がるのを初めて目のあたりにしたときには、我が目を疑った。

 

と書かれているように、プラスチックストローが出てきたばかりのときは、ストローは飲み物から浮いてきて大変飲みにくかったようだ。それがいまじゃあ、ベイカーのころとは反対のことを言っているんだから、人間ってしばらくしたら慣れるんだろうよと思ってしまう。

 

コンビニを出てミルクティーを飲みながら、大きな道に沿って歩く。途中、大きな橋の上から夜の川を覗いてみると、真っ黒で流れがあるのかどうかも分からなかった。橋の上は風の通りが良くて、ここだけ一段と涼しい。夜の散歩の楽しさって、大学生になって友達の家とかに泊まるようになってから分かり始めたのだけれど、自分が中学生のころに同級生だった不良達は、この心地良さをあのころすでに知っていたんだと思うと急に羨ましく思えてきた。そう思えば、いま住んでいる町ではあんまり不良を見かけない。そして、とにかくいまは温泉に行きたい。そんなことを考えながら家に着いて、コンビニでミルクティーと一緒に買ったワンタンスープをレンジでチンして食べると、なんだかえらい落ち着いてしまった。なんだかんだで家が一番。