牛車で往く

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続・蜜柑の輝きは何によるもの?(平岡敏夫「ある文学史家の戦中と戦後」)

以前に読んだ荒川洋治の「読むので思う」の中で引用されていた、平岡敏夫の「ある文学史家の戦中と戦後」を読んだ。

 

 

「読むので思う」では、平岡敏夫の「ある文学史家の戦中と戦後」の中における、アメリカの学生は芥川龍之介の「蜜柑」を読んで、作中における蜜柑の輝きは神の御加護であると解釈するといった部分が引用されており、わたしはその部分を読んで『そんななんでも神様に結び付ける?』なんて風に思ったのであった。

 

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これはアメリカの学生がキリスト教を信仰しており、そこからわりと無理やりに神様を連想したんじゃないかなんて邪推をしたのだが、実際に引用されている文献を読まずにそんな意見を書くのはいかがなもんかというところで、「ある文学史家の戦中と戦後」を図書館で探し、実際に該当する部分を読んでみた。そうすると、まあなんとも自分の考えの浅はかさを思い知った次第でございます。そんな事の顛末を下に記そうと思います。

 

アメリカの学生が「蜜柑」をどのように読んだのかは、「日本文学とアメリカ」という章に書かれている。アメリカの学生は作中の登場人物である小娘が弟たちに向かって蜜柑を投げる場面を読んで、

 

蜜柑は神の助力で自然の中に生長する。田舎娘がこの果実を投げたとき、それは神の加護によるものだったのだ。 p.203

 

といった解釈をしており、このような解釈は英訳の問題も絡んできていると筆者は言う。該当の場面は原文では

 

窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。

 

と書かれており、この「空から」の部分が英訳では「from the heavenly skies」とされており、この"heavenly"によって神の姿が連想されると考えられる。そして、「空から」の部分に日本人の訳者が"heavenly"を当てはめたことを受けて、もう一度原文を読み直してみると、そもそもなぜ芥川本人がわざわざ「空から」と書いたのかといった疑問が生じてくる。小娘が投げた蜜柑は、当たり前のように小娘が乗っていた汽車から降ってきたはずである。にも関わらず「空から」と描写されているのは、そこで何かを表現したくてあえて書かれたのではないか。その考えに基づき、芥川の作品に「奉教人の死」や「西方の人」などといった切支丹(きりしたん)物と呼ばれるものが多いこと、芥川が自殺した際にすぐ近くに聖書が置かれていたことを踏まえると、この場面の描写に神の存在を感じとる読み方は全く的外れなんてものではなく、なんなら本当に作者の意図を理解したものではないかと思えてくる。

 

この「空から」の部分に違和感を覚え英訳時に"heavenly"を付け加えた翻訳者の凄さに、わたしはただただ感服いたしました。なんて丁寧な読み、そしてプロの仕事。一言一句を丁寧に読んでいない自分自身の読書に対する姿勢を反省するとともに、果たして意識したところで自分はそんな風に読むことができるのだろうかとも思う。そして、芥川の「蜜柑」に隠れているキリスト教的思想に光を当てたアメリカの学生たちの読みもすごい。実際、当時の日本人の中でアメリカの学生のような指摘をした人はいなかったようで、これはアメリカの学生によってはじめて見出された読みであるそうだ。よく言われることではあるが、人間はそれぞれ違う人生を通してそれぞれに異なる価値観を形成しているから、同じ作品を読んでも人間の数だけ違う解釈があるといったことを改めて認識した。だからみんなネットにもっと感想を書いてほしいなんて勝手なことも同時に思う。そして、芥川龍之介といった人物の背景や、その他作品から新しい読みの妥当性を検証する手続きも尊い。ショウペンハウエルは「読書について」において、作品に接しながらも、作品のきっかけとなった出来事や、作者自身に対して興味をもつことは滑稽なことであると言っており、確かに作品は作者と切り離して独立して読まれるべきかもしれない。しかし、作者について知らなければたどり着けない読みも実際にはあり、その作品を深く理解しようとするために抱くこのような興味は決して滑稽なものではないように思われる。

 

 

色んな本を読むことで価値観が広くなるって、それは本当にそうだとは思うのだけれど、どの本を読むかといった選択は自分自身によるから、結局自分の読みたいものばかりを読んでしまうと同じようなものばかりに触れることになるし、自分の考えも凝り固まっていく。ってことを考えて、「読書によって心が広くなるより、狭くなる人の方が多い」といった北村太郎の言葉を引用した荒川洋治の「読むので思う」に再び戻る・・・。自分の読んだ作品を他人がどう思っているかをネットで検索するときに、共感できる感想ばかりを探してしまうけれど、そんな時流に逆らって、積極的に自分とは違う読み方をした人の感想も読んでいこうと思う。