牛車で往く

猿も木から落ちる イチローも肉離れする

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唯一

キングオブコント2025を見た。リアルタイムで見れる感じだったけれど、ご飯を作ったりしたから全組をちゃんと通しては見れず、いくつかはTVerであとから見た。個人的に好きだったのはレインボーの1本目で、審査員の中ではかまいたちの山内が特に高い点数をつけており、多分関西人好みのネタなんだろうと自分のことも踏まえて思った。女芸人の服装と髪形からはカーネーションの吉田さんを思い浮かべずにはいられなかった。吉田さんはだいぶ面白いと思うから、そんなルートがあるのか知らないけれど、チャンスの時間きっかけでもうちょっと売れてほしい。もうちょっと売れてほしい芸人なんて人それぞれいっぱいいるし、それは芸人に限らず他のあらゆるジャンルのものでもそうで、なんなら政策やらも人それぞれ重視してるものは違うしって、なんとなく勢いでこんなことを書いたけれど、特に言いたいことはないとここまで書いてから気づいた。や団の2本目のただただ口が悪い大将のネタも面白くて、これまで特段や団のネタが面白いと思ったことはなかったところを、これまたチャンスの時間でロングサイズ伊藤のキャラがなんとなく分かってきて、そのキャラの把握込みの状態で見たからこれまでと違って笑えるようになった。これがニンってやつですか。じゃあニンとか関係なく笑かせるのが一番最強ですか。どうなんですか。おいでやす小田が、ピン芸人のころにはそんなに人気がなかったのに、こがけんとコンビを組んでM1に出たらそのコンビ、ペアって関係性が手伝って急に人気が出だしたみたいなことを過去に言っていて、まあ仲良いっていう関係性に応援したくなる気持ちは分かるから、そういう関係性もニンってやつに関わってくるんでしょうか。年取って顔が穏やかになって人気出るとか、結婚して家庭を持ったことによる安心感で人気が出るとか、芸人が売れるには面白さ以外にも色んな要因が影響している。

 

ジャンプで連載しているカグラバチが面白い。カッコいい構図のコマが所々で出てくるのが良い。これまたチェンソーマンを読んだときにも思った、映画をそんなに見てきたわけじゃないけど映画っぽいってことを思った。冨樫がハンターハンターの0巻か何かで、漫画家は映画をいっぱい見たほうがいいみたいなことを言っていた記憶があるが、あれはセリフ関連のアドバイスだった気がする。NHKの漫勉でも映画を流しながら作業をしている漫画家がちらほらいた気がするし、漫画家は映画をたくさん見ているもんなんでしょうか。カグラバチのエレベーター越しだったり、ホテルのドア越しだったりの居合い合戦がカッコよくて、そういうシチュエーションを描くっていう快感について考える。ベタにエレベーターってことから北野武の「ソナチネ」のエレベーターのシーンを思い出したけれど、あれも良いシチュエーションのシーンで、思い出しただけでもたまらなくカッコいいって興奮が身体に蘇ってくる。下りのエレベーターの中、一度階に止まったところで開いたドアから差し込んでくる光。再び動き出したエレベーターがまた別の階に止まったときに、敵対関係のものが乗り込んできたことにお互いすぐには気づかず、気づいた村川がいきなり襲えばいいところを、あえて気づかれるように「高橋」って呼ぶ、それがカッコいい。そっちのほうが印象的なシーンになるからそうしたっていう感じがある。友達に高橋がおったら絶対に真似するほどカッコいいのに、友達に高橋がいない。まあなんせそういう頭の中にあるグッとくるシチュエーションの再現。例えば部活の大会のある日の朝はなんだか空気が澄んでいる気がするとかにグッとくるのは分かるんだけれど、現実のそういった瞬間はSNSで色んな人に言われることによってもはやあるあるに堕ちており、共感されるたびに感動は錆びていくように思える。それに対して、今の気分では映画のまだ誰も演出していないシチュエーションのオリジナリティほうに魅力を感じ、それがフィクションの醍醐味だと思う。カグラバチの居合を受け止めてホテルの一室から飛び出したシーンで、自分はなぜか尾田栄一郎の初期作品集「WANTED!」に収録されていた漫画の隕石がビルに落ちてくるシーンと、それを描きたかったっていう尾田っちのコメントを思い出した。ソナチネを思い出したことで、殺し屋系の漫画は静と動みたいなシチュエーションを描きやすい設定のように思えてきて、さらに自分はファンタジーの世界よりも現実に近い世界観で描かれるほうが好きなのもあるから、何勝手なこと言うてんねんって話ですけど、カグラバチの作者にはカグラバチが終わった次は殺し屋漫画を描いて欲しい。


BOSSのイタリアーノのCMの安藤サクラの「こっちで良かったんだよ」って言い方が良い。

 


クラフトボス 甘くないイタリアーノ『宇宙人ジョーンズ・ある日のおつかい』篇

 

でも現実で上司だったとしたら、「クラフトボスのイタリアーノ買ってきて」って明確に指示してほしい。とか、たかがCMなのに考えなくてもいいことを考えてしまうから仕事はノイズ。自分はカフェオレやミルクティーが好きなんだけれど、飲むとお腹が張って気分が悪くなることがある。それが分かってんのに飲んで、お腹が張って気持ち悪くなって、これまたパンパンにお腹が張った不快感を忘れて、なんとなく午後の紅茶より紅茶花伝のほうが美味しい気がするっつってスーパーの棚からペットボトルを手に取る。ほんでまた気持ち悪くなって、今度こそ本当に飲むのを止めると決心して、本当にそれ以来しばらく飲んでいない。強い気持ちで飲んでいない。おそらく原因は牛乳にふくまれる乳糖を分解する酵素が自分の体には不足しているから。子どものころは大丈夫だったのに大人になってから無理になったのも、大人になると分解酵素の分泌量が減少するからで、でもシチューとか食べられるけどなと思えば、体温に近いほうが酵素の活性が上がるから温かいものは大丈夫なことがあるらしく、へぇ~って久しぶりにいきものがかりの「ホットミルク」を聴いた。

 

www.nagano.med.or.jp

 

朝起きてテレビを点けて、なんかやってないかとザッピングしていると、おっ、ドジャースの試合やってるやんってとりあえずチャンネルをそのままにし、なにやら大谷翔平が先発で、1打席目に追い込まれて三振かぁ?とか思っていたらホームランを打って、そしたらピッチングも調子が良さそうでって見続けていたらあまりにすごすぎて最後まで試合を見た。おなかが空いていたのに目を離せなかった。唯一無二の存在。この惑星で最も偉大な選手。宇宙人ジョーンズでもないのにこの惑星と捉えるアメリカ人のスケール感。アメリカは日本よりも宇宙が近い。

今さらながら呪術廻戦を読んだ

ようやっと呪術廻戦を読んだけど、面白かった。やっぱりジャンプって定期的に面白い漫画が出てくるからすごい。自分は東堂と金ちゃんがめちゃくちゃ好きで、でももし自分が小中学生とかだったら真っすぐ五条先生のことを好きになっていただろうなと、当時NARUTOでカカシ先生が好きだったことを鑑みて思う。小中学生くらいのころには余裕があってまだ底を見せていない強そうなキャラが好きだったのが、大学生ぐらいからは普通に熱いキャラが好みになってきた感じがあって、それは大学のころにハチワンダイバーにハマった影響があるような気がする。柴田ヨクサルの描くキャラのダメージを覚悟してガシガシ突き進んでいく感じがカッコいいってなったもんだから、っていうか澄野の「この場の人間の哲学は消えた」~とか言いながらボコボコ殴り始めるシーンが好きで、東堂と金ちゃんからはそういった澄野みたいなシンプルな思考でガシガシ突き進む男らしさが感じられて良い。フィクションだから行動原理がシンプルな方が爽快な感じがあって、同じ理由でゴールデンカムイにもハマった(柴田ヨクサルの漫画はテンポもいいから爽快さがより一層増している)。あと、東堂と金ちゃんは戦闘に関しては頭を使って賢く戦うのもカッコいい。東堂の不義遊戯で手を叩いたけどあえて位置を入れ変えないとか、虎杖&東堂VS.真人はかなり面白かった。ダメージ覚悟で真人の手を使って不義遊戯を発動させるのも、頭キレてんなあ、状況を考えて行動の取捨選択をするプロやなあってカッコいい。呪術廻戦は渋谷事変あたりから舞台設定がいいなっていう漫画になるというか、作者がこういうシチュエーションで描きたい、見せたいっていうのが感じられる場面が増えてくる気がする。まあガンツとか東京喰種とかでもやられてるとは思うけど、死滅回游の現実の場所を舞台にもってくるのはいい(どっちもちゃんと読んだことはないけど)。やっぱりフィクションに少しでも現実とつながる要素があると、退屈な現実世界にワクワクするフィクションの要素が少し滲んで来て、絶対現実のものではないって分かってるのに、そんなこと分かった上で、それにも関わらず、あっ、ここあのシーンの場所やって、現実にまで貫通してくる感じにワクワクさせられるところがある。自分の人生で一番最初にそういう設定に触れたアニメはデジモンで、でも当時は小学生だったから、お台場の団地っていう舞台設定に上で書いたようなワクワクを感じることはなかったけれど、それがある程度大人になって振り返るようになると、アニメ自体の懐かしさとともに、今は離れてしまった団地っていうものに妙な懐かしさが宿っていて、さらにそれが現実のお台場を舞台にしたものとなったら、あのころの日本みたいな感じも乗っかって来て、単純な郷愁以上に感じるものがある(何回もこの話をしている気がする)。自分はAmazonプライムで最初のデジモンの映画を買い切りで購入していて、今見てもやっぱり良い。

 

 

今思うと、グレイモンは言うことを聞かないし、「メガフレイム!」って技名を言うこともないし、状況の説明も少ないし、わりと大人向けの作品のように思え、ある程度大人になってから見たほうが良さがより分かるのかもしれない。ただ、自分はなんとなくアニメにおいてシリアスなシーンを迎えた際に、急に絵柄がリアルになるみたいな演出が苦手で、だからヒカリがボロボロ泣きながらホイッスルを吹くところは、しんちゃんのオトナ帝国の階段を上るところぐらい、ちょっと見てられない感じがある。まあそんなことは置いておいて、呪術廻戦において自分は金ちゃんと鹿紫雲がコンテナだらけの港湾で戦う舞台設定が好きで、なにより「少し痩せたか!?パンダ!!」と言いながらオーラ全開でゴオン!とコンテナをぶっ潰して降って来た金ちゃんがあまりにカッコいい。痺れる登場シーン。

 


『呪術廻戦』23巻発売記念スペシャルムービー【死滅回游】

 

自分は呪術廻戦23発売記念のPR動画がだいぶカッコ良くて何度も見ている。キャラは一切出てこないけれど遠景で象徴的なアイテムを出す演出により、誰と誰のどこのシーンかをこちらが察するといったものになっていて、察するっていうただそれだけで少し興奮度が増すのはなぜなんだろうか。あとはキャラクターが一番アニメっぽさを醸し出す要因なんだと、この動画を見て気づかされる(自分はコスプレとか全然まだまだ見慣れない)。だから、キャラを一切出さずに現実とリンクするようなこんな動画を作ったのは、めっちゃセンスが良いなと思う。あと、地味にエピローグの冥冥の駄菓子屋のエピソードとか好き。最後に姉様カッコいい!ってなった。

 

ニコルソン・ベイカーの「室温」を久しぶりに読み直していたら、ゾンビーズを懐メロと評する文章が出てきて、ちょっと前にGinger Rootがゾンビーズの曲をカバーしていた動画をよく見てたから、おっ、となったのだが、こんなこと書かれてたっけと全く覚えてなかった。

 

 


Ginger Root cover "This Will Be Our Year" by The Zombies

 

ゾンビーズ自体は昔名盤とされるアルバムを聴いていくかと思ったときにTSUTAYAで借りたことがあったのだが、そんなにハマることもなく、でもGinger Rootのカバーは拡声器を通したみたいなエフェクトのかかった歌声で歌っていて、声を荒らげて歌うところとかは普通にかっこよくてハマった。The Strokesの「The Modern Age」の「Don't want you here right now, Let me go」のところとか、他にももっとあるはずで今はこれしか思いつかないが(桑田佳祐の「可愛いミーナ」の最後のサビ、「帰らぬ夏の思い出に」の「おーも」も良い)、そういうバンドとかで声がしゃがれる瞬間ってかっこいい。拡声器と言えば日本だと椎名林檎って感じで、椎名林檎が提供したTOKIOの「雨傘」とかもそういうしゃがれ気味に歌うところがあってカッコいいんだけれど、今は季節的に「花唄」って感じ。「花唄」も好きな曲だから定期的に聴き返す。あるときに誰が作ったんやろうと調べてみたら、作曲がセンチメンタル・バスの人で、そう言われれば確かに「花唄」って「Sunny Day Sunday」の従兄弟というか、もはや兄弟感があるなと納得した。ダダダダ、ダダダダ、ダダダダダダってリズムとか「Sunny Day Sunday」感ある。

 

自分はBase Ball Bearの「YUME is VISION」から「HIGH COLOR TIMES」までの期間の、まだポップ過ぎずギターの音がジャキジャキしていたころが好きなのだが、当時は貸し出しされていなかったそんな時期のBase Ball Bearの、Baconとのスプリットシングル「B Beginning!!」が、今ではサブスクで配信されていて、そのおかげで「B Beginning!!」に収録されている「TRAGIC HEROINE」を聴くことができ、それにも最近ハマってよく聴いている。やっぱりギターの音とかフレーズが、このころのBase Ball Bearって感じで良い。でも自分がBase Ball Bearにハマったころには、Base Ball BearはNUMBER GIRLのパクリとネットで言われていて、確かにイントロのフレーズとか丸パクリの曲もいくつもあるのだけれど、自分は世代的にNUMBER GIRLよりも先にBase Ball Bearを知り、さらには当時の自分からしたらBase Ball Bearのほうが聴きやすかったから、結果的にBase Ball Bearのほうが好きってなった。まあでもこんなふうに、最初に触れた作品がどれかによって、参照元よりもそっちのほうがしっくりくるなんてことはありふれているんだろうことで、呪術廻戦なんかも先に読んだ人からしたらハンターハンターよりもしっくりくるんだろうし、もっと言えば自分はAKIRAを通らずにサイキック的な描写をすんなりと受け入れている。とはいえハンターハンターのヨークシン編は名作で、アニメで見ていた時のあの暗く重い空気なんかは、今でもまだ覚えているというか、思い出そうとしたときにじわぁっとにじみ出てくる独特の雰囲気がある。大学生の頃に0巻が欲しくて、友達と新バージョンのアニメの映画を見に行ったら声が変わっていて、自分は自分の時代のアニメのほうがいいという価値観を揺るがずに持っていたから、全然良くないと思った。絵柄も雰囲気もずいぶんポップになっていて、主題歌のゆずの曲も、なんやこれ、全然雰囲気にあってないやんって、当時のアニメは黒沢健一とか「太陽は夜も輝く」とかもっとダークかつカッコいい雰囲気があったのに、今はなんでこんなことになってんのよ、と思った。でもまあターゲットはもう自分の世代ではなくて、当時の小中高生ぐらいに変わっていたんだろうし、余命○日の花嫁とかいう映画もCMを見るたびに、何回やんねん、もういいってって感じになるけれど、それもターゲットは余命何日っていう概念にまだ触れてない若者たちということだろうから、自分は完全に製作サイドからしたらアウトオブ眼中の存在、いつまで首ツッコんできてんねんって話なんだろう。それでも言わせてもらったら、「THE FIRST SLAM DUNK」も声ちゃうやんって思って入ってこんかったし、宮城に悲しい過去とか別に付け足さんでいいとか思ったし、山王戦最初の敵味方のプレーに驚く宮城の内心とかもマジで原作のキャラと合ってないテンションでの驚き方に見えて、結局すぐに見るのをやめた。キャラの背景ってある一定の濃度の濃さまで来ると、『こいつはこういうキャラやな』っていう自分のある種の理想というか偏見というか捉え方を流し込む余地がなくなって、『なんか違うねんなあ』となることがある。『そんな悲しい過去見せられたら、もうそういうやつって見るしかないやん』というか、見方を決められる、把握できるキャラ造形になってしまうというか。「THE FIRST SLAM DUNK」は配信で見たから途中でやめれたけれど、もし映画館で流れでそのまま最後まで観ていたら、なんやかんやで感動していた可能性もあるが、悲しい過去とか付け足されたときに自分は『ここで感動するでしょう?』っていう、作った側がそこまで考えているのか分からん裏に透ける意図を勝手に読み取って、『んな舐められても困るわ』と冷める傾向にあり、「THE FIRST SLAM DUNK」でもそれが発動してしまった始末。ワンピースの過去編なんかも、ゾロとかウソップのときはまだ短かったのにだんだん長くなってきて、ちょっとしんどいなあとか思うようになったし。ただ、空島編に関しては、ジャンプで読んでるときは過去編長いなあとか思いながら読んでいたところ、単行本でまとめて読み返したら、最後の黄金の鐘の音が鳴り響く中、青海の雲にルフィの影が映ったのをクリケットさんが目にして、黄金郷は本当にあったんだってなるシーンで、それまでのクリケットさんが何度も海に潜ってたこととか、先祖であるノーランドの話とかががっちり噛み合って、尾田っちうまぁ、こんな演出で空島の存在を教えるとか天才やんって改めて思い直したというか、単行本で一気に読んで初めて感動した。本当にロマンって感じだった。だからみんな、うまく自分をだまして感動させてほしい。

知ってる天井

長期休暇を取った際に、四日目以降から小説やら漫画やら音楽やらにえらく入り込めるようになる。個人的にそれは仕事の毒素が休暇四日目になってようやく抜けるからだと思っており、その実感をもって振り返ってみれば、あまり小説やら漫画やら音楽やらに入り込めずにいたそれ以前の日々が、自分にとっては日常だったんだと気づく。日常とかいう具体的にどんな日々を指すのか意味の曖昧な言葉を、そんなふうにして自分なりに解釈し、そうしていまこの瞬間、遠くの隅田川まで意識を飛ばしてみると、『ああ、いい。また行きたい』と頭の中の想像だけでグッとくるから、自分はいま日常から脱している。日常の真っ只中であれば、隅田川を思い浮かべてもまた訪ねたいとまでは思わない。

 

旅行はしばしば日常から脱することを目的に取られる手段かもしれないが、すでに日常から脱した状態で旅行に行ったほうが、感受性の鋭敏な状態で巡ることができるから、旅先の本当の素晴らしさを味わえる気がする。四日目から旅行に行く、二泊三日で六日目に帰って来る、帰ってきてすぐ次の日に仕事はしんどいから一日は家でゆっくりしたい、ということで旅行に行くには一週間は休暇がほしい。そもそもなぜ日常においては楽しみきれないのかといえば、仕事のこと、やらなければいけないことが頭にちらつくからで、毒素というのはこれらを指している。だからいっそのこと仕事を辞めてしまいたい、辞めてしまえれば常にハイな状態でいられる、という今更のことをずっと思い続けている。それにはやっぱり金がいる。これも今更のこと。年末が近づいて近所の駅の宝くじ売り場に行列ができている。常々金がほしいと思っているくせに、行列を眺めては『よう並ぶわ』なんてふうに他人事のように思う。ジャンボ宝くじのCMで妻夫木くんがずっと滑り続けている。本当に救ってあげたい。妻夫木くんも本当は誰か助けてくれと思っているはず。成田凌は別に救ってあげたいとは思わない。auのCMは桃太郎のやつは面白くないけれど、高杉くんのやつは見てられる。同じ会社のCMでも面白いものと面白くないものがある。アイフルのCMはなんか許せる。借金で金を得ても人生は楽にならない。自分の脳みそでは借りた金を使って一気に資産を膨らませる方法が思いつかない。

 

panpanyaの「商店街のあゆみ」を読んだ。

 

 

自分は黄色の表紙に弱いのかもしれないと、平方イコルスンの「スペシャル」の一巻や熊倉献の「春と盆暗」などを思い浮かべて思う。紙魚の手帖で連載されている熊倉献の漫画が「春と盆暗」のころの作風に近くて自分は嬉しい。「商店街のあゆみ」では単純に絵がうまくなっている気がする。絵も描けないくせにそう思う。「スーパーハウス」のまだ見ぬ試み感が良かった。バトル漫画風の迫力や緊迫感を出すために絵のアングルにこだわっている感じが。それに今回は、各短編の間に挟まれている日記もしくはエッセイに記憶にまつわるものが多くて面白かった。今回カバーを外して本体の表紙を見ると、よく見るなと思っていた天井の模様が現れた。会社の天井も、マンションの階段フロアの天井も、スーパーの天井も、この板材が使われてるのが多いなと最近気付いたところだったから(とはいえ気づいたのは一年ぐらい前のことだけれど)、それを見て嬉しくなった。平方イコルスンの短編集もそろそろ出るらしくて楽しみ。スペシャルはまだ消化し切れておらず、誰か謎を解き明かしてくれ。語ろうにも理解できていないから言えることがなく、いまでもまだモヤッとした読後感が宙吊りのままある。序盤の平和なころのほうが好きだった。だって読み始めたころには、こんなオチになるとは思っていなかったから。

 

ワールドトリガー25巻の感想とか

買うのを忘れていたワールドトリガーの最新巻を買って読んだのだけれど、これが面白くてワールドトリガー熱が再熱した。

 

 

遠征選抜試験の閉鎖環境試験編になってからというもの、トリガーを使ったバトルは全く行われず、与えられたミッションをこなしていく中での各キャラの性格を踏まえた個々の立ち振る舞い、相互の人間関係に描写が割かれている。ワールドトリガーは遊真・修・千佳・迅の四人が主人公だと言われているけれど、もはやその四人だけじゃないやろというぐらいに、あらゆるキャラにスポットライトが当たる。生駒隊のミズカミングがこれほど活躍する日が来るなんて、いったい誰が予想できたでしょうか。部隊がシャッフルされたことで生まれた新たな関係性、それが徐々に深まっていく過程が面白くて、葦原先生もノリノリで描いてんじゃないかと思う。それに、足りない部分を発想と工夫で埋めるという、ワールドトリガーにおいて元から面白かった要素が、この閉鎖環境試験では今まで以上に見れてワクワクする。互いのことをより深く知り合った状態で、元の部隊に戻って行われるランク戦とかもめちゃくちゃ面白くなるだろうなと思うので(『こいつはこんな行動とらないはず!?』みたいな、人間性を知ったうえで生じる偏見を利用した欺きとか)、ぜひ見てみたい。それに自分は25巻を読んで、帽子をとった荒船の顔ファンということに気づきました。いつかめちゃくちゃ活躍してほしい。イコさんも好き。それからワールドトリガーについて調べていたら、PS4の「Dreams Universe」という自作でゲームを作れる、雑に言ったらRPGツクールの自由度高い版みたいなもので、ワールドトリガーの世界観を再現している人がいてすごかった。

 

ワールドトリガー ランク戦(2) PS4 ゲーム DreamsUniverse

 

漫画に出てくる様々なトリガーや、さらにはHPとMPが同居したようなトリオンの概念もうまく再現されていてすごい。合成弾とかマンティスも使えるし、自分はほとんどゲームをしないのだけれど、めちゃくちゃ面白そう。実際に作るとなると難しいのだろうけれど、やりがいがあってめちゃくちゃ楽しいんだろうなと思う。ただただ尊敬する。

 

オモコロの「もうちょっとで危うく恋するところだった話集」がよかった。

 

omocoro.jp

 

「危なかったけどギリギリ恋しなかった話」ということで、とはいえ確実に一瞬好きにはなっている。「死ぬかと思った」みたいな感じもあるし、エピソードを聞いたうえでのナ月さんのコメントが「短歌ください」っぽくもある。中でも自分は、なんで好きになったのか分からないけれどなんか刺さった「なんか」編が特に好きで、女友達の好きなカービィのコピー能力がバックドロップだったやつとか、新しく買ったシューズを踏まれたやつとかにグッと来た。あとは抗恋のやつとか、柵から落とされてもかわい~と思ってたやつとか、普段は高圧的な人が怒られて号泣しているのを見てキュンとなったやつとかから、平方イコルスンの漫画を想起し、そうして無性に「駄目な石」を読みたくなったから開いて読むと、やっぱたまらんなというくらい良くて、胸の中がぐわっとなった。「もうちょっとで危うく恋するところだった話集」の「なんか」編も、平方イコルスンの漫画も、人を好きになる理由が変わっていてそれを読んでる側はいまいち理解できないけれど、その先にある人を好きになるという気持ち・高揚感は分かるっていう流れにより、好きになった理由に共感できない分、その人物にとっては唯一無二であるっていう特別感が読み取れ、そこに好きっていう理解はできる感情が乗っかることで、読んでるこっちはときめき倍増みたいなシステム。理解できない驚異の部分と、人を好きになるという共感の部分が相まって生まれる素晴らしさ。大声を出したくなる。平方イコルスンには一生漫画を描き続けていただきたい。それに

高校1年生の頃の物理の先生に、黄色を「ねずみいろ」青色を「たぬきいろ」赤色を「大人のカレーパンマン」緑色を「腐ったカレーパンマン」と表す先生がいました。

ってエピソードは和山やまに漫画にしてほしい。友達の一言が最高。あとは投稿者のペンネームの「この木なんの木範馬刃牙」とか「大磯チン毛ビーチ」とかのしょうもなさもいい。「福山はさまる」が一番好き。あと「神の左手悪魔の右手」と「携帯する他人の運命」は同じ投稿者だと読んでいる。ふたりとも死んじゃったね。

 

 

幽遊白書の魔界編を久しぶりに読んだ

久しぶりに幽☆遊☆白書の魔界編を読み直したけれどやっぱり面白かった。

 

 

 

黄泉が自らの視力を奪った敵を捕らえたのを蔵馬に見せるシーンを読んで、当時小学生だった自分は蔵馬同様心拍数が上がり、流石の蔵馬がその後すぐに心拍数を正常に戻したときもまだ自分はドキドキしたままであったが、あれから成長した今の自分は黄泉と同じ目線で、心拍数が上がっているぞ蔵馬、と偉そうに思うことができた(当時の自分は幼さゆえにまだ慣れぬグロい描写にビビって心拍数が上がったのであり、一方蔵馬は自分が差し向けた刺客が捕まってヤバい!バレた!ということで心拍数が上がったのであって、それぞれ理由が異なっているが)。それにしてもこのシーン、当時の自分は良いもんチームである蔵馬が仲間(黄泉)に刺客を向けるなんて、そんな酷いことするはずがない!と、すんなり受け入れられずにいたが、今は妖狐蔵馬と南野秀一が別人格であるという設定を理解できるから、妖狐のころやったらまあそういうこともしてたやろと思える。アニメのオープニング曲「微笑みの爆弾」に関しても、小学生のころは歌詞の

 

都会の人ごみ 肩がぶつかって ひとりぼっち

果てない草原 風がビュンビュンと ひとりぼっち

どっちだろう 泣きたくなる場所は

2つマルをつけて ちょっぴりオトナさ

 

の部分を聴いて、大人になれば①都会の人混み、もしくは②果てない草原のどちらかに、泣きたくなる場所の答えとして圧倒的正解の二重丸◎を付けられるようになる、と解釈していたのだが(「2つマル」とは二重丸のことだと思っていた)、今はそのどちらにも孤独を感じるのが大人なんだと分かる(分かったつもりになれる)。

 


【『微笑みの爆弾』OP映像】 幽☆遊☆白書 25th Anniversary Blu-ray BOX PV">

 

魔界編は戦闘シーンが少ないのに面白いのは流石。幼いころは主人公側にしか感情移入ができなかったけれど、いまはフラットな目線で読めるようになったからより面白い。読んでいると黄泉ってこんなにも人間臭かったっけ?となる(魔族臭い?魔族も人間もそれほど変わらない?)。魔界統一トーナメントを見ていても、蔵馬と時雨が二回戦で対戦し、後日談として、その前にほぼ相討ちとはいえ飛影に負けていた時雨に蔵馬が相当苦戦したことが仄めかされていて、戦闘シーンが描かれていないからこそ、そう単純ではない展開を想像させられて面白い(飛影vs時雨は最高。てか飛影の戦闘だいたい最高)。飛影と戦ったときの時雨は軀の側近77人のうちで一番弱いとされていたが、最終的に黄泉の軍のNo.2にまで強くなった蔵馬と互角の勝負を繰り広げたということは、時雨も何かきっかけがあって強くなったんだなと想像できる。とはいえ自分はジャンプで連載を追いかけながら読んでいたわけではなくて、もう完結していると分かった状態で読んでいるから、魔界編の戦闘描写の少ないところを、与えられたその他様々な情報(妖力値とか全盛期の雷禅の戦友だとか)から想像することで楽しむことができるが、まだ完結するとは知らないまま連載を追いかけていた人からしたら、おいおいそこの闘いを描かんかいっ!となったことだろうが。それに雷禅、軀、黄泉の三者の実力は拮抗していると思い込んでいたけれど、詳細には、「人間を食べていたころの雷禅」>「本気の軀」>「黄泉」という実力順だったことをちゃんと読んだ今更になって認識した。

 

というか今になって読み直した魔界編は、幽遊白書の中でもめちゃくちゃ爽やかな編に思える。雷禅の死に際して昔の友達が集まってくるといった友情シーンや、酎やら陣やらが美味い食事と適度な運動で強くなるといった修行シーン、試合中に酎が棗に惚れて口説いたり、幽助が蛍子に3年で帰ってくるから結婚しようと言ったりする恋愛シーンなどが描かれていて、なんと健全たることか。飛影の軀に対するプレゼントも、渡したものこそグロテスクだが、読後感は不思議と爽やか(ハッピーバースデイ)。霊界の闇が暴かれたあとの幽助と蔵馬の会話

 

幽助 オレがつかまえたヤツの中にも……いたのかなァ

蔵馬 深く考えない方がいいですよ

 

も、混沌とした仙水編を通ったからこその独特な爽やかさと切なさがある。この爽やかさと切なさは、この時代のマンガにしかない空気感みたいな気もする。

 

他にも読んでいると明らかにダウンタウンであろうやつらが出てきたり、飛影の身長を池乃めだかくらいと表現していたりもして、冨樫義博は芸人が好きなんだなとなった。そういえばHUNTER×HUNTERというタイトルもダウンタウンからインスピレーションを受けていたんだったっけ(今調べたら、ノブナガのモデルって松っちゃん説があるんや・・・。確かにそう言われれば似ている)。あとは魔界編は会話がいい(冨樫義博の漫画はだいたい会話がいいけど)。「今死ね」とか「そのうち やみつきになるぜ」「冗談に聞こえないからこわい」とか。めちゃくちゃセリフっぽいセリフやねんけど、そこに無駄がなさすぎてカッコいい。幽☆遊☆白書を読んでいたらハンターハンターも読み返したくなってくる。そういえば昔どこかのファンサイトで、グリードアイランド編で飛影が指名手配されていると読んだ気がする。普段はバーテンをしているハンターが様々な裏設定を考察するといった設定で、ワンダーハンターというサイトかと思ったけれど、それっぽいページは見当たらなかった。

 

wonderhunter.xsrv.jp

 

この前外を歩いていたら、小学生がお母さんと待ち合わせをして一緒に帰っているところに遭遇した。男の子は両手に荷物をパンパンに持っていて、もしかしたらその日で学校が終わって春休みに入るところなのかもしれなかった。二人は自分の後ろを歩いていたのだが、男の子が「iPadも持って帰らなあかんかってん」とお母さんに言っているのが聞こえて、その子はどう見ても小学生低学年ぐらいの感じだったのだが、そのぐらいの子でも授業でiPadを使っているんだという衝撃。授業中でもネットには繋がるんだろうか。ワザップとかゲームの攻略サイトを見たくなったりしないんだろうか。今の時代は普通にYouTubeか。男の子に対するお母さんの口調が幼児語ではなくサバサバとしていたのがなんだかよかった。それから、さとうもかとMomの「いとこだったら」を聴く。

 


いとこだったら feat. Mom / さとうもか Music Video

 

「自分でも少しそう思うよ」のあとのこもった音をしたラッパのプァープァプァプァがいい。ほんでMomのパートの

君が話の中で演じる君を
眺めてはたと気がついたよ

僕は僕の大事な部分を
誰かに託したいだけなんだって

からの

素敵だけど残酷だね

っていうその行動の意味を自覚している切なさと、そのあとの

あらゆる予感は予感のまま
残しておけたらいい

っていう部分の「14番目の月」にも通ずる感覚がいい。本当にいい。なんだか幽遊白書を読んだあとに聴いたから、この曲から妙な懐かしさみたいなものを感じる、感じ取ろうとしている自分がいる。

とはいえ「ロはロケットのロ」もなにか違う

11月27日の土曜日はすごく寒かった。ついに冬が来たかって感じ。晴れていても洗濯物の乾きは悪かったし、テレビに映った日本シリーズで戦っているヤクルトとオリックスの選手たちも寒そうだった。寒くなってくると、外を歩くときにやたらとちっちゃいペットボトルのホットのカフェオレが飲みたくなる。なぜかあれが美味しく感じる。お湯で溶かす粉のカフェオレも美味しいのは美味しいんだけれど、ちっちゃいペットボトルのホットのカフェオレには及ばない。キルアじゃなきゃダメなんだってくらい、あれが美味しい、あれが飲みたくなる。家にもコンビニやスーパーにある温かさを保つ機械を置いて、そこにちっちゃいペットボトルを並べていつでも飲めるようにしたい。そう思って調べてみると楽天でその機械が売られているのを見つけた。

 

item.rakuten.co.jp

 

三万円ぐらいで売られていて、意外と買おうと思えば買えるぐらいの値段。ただ、調べたはいいものの、そこまで本気で欲しいと思っているわけではなくて、なんか勢いで言ってしまっただけで、ぶっちゃけ本当は欲しいなんて微塵も思っていないから、意外と買える値段だとしてもそれはそれで困ってしまう。それにちっちゃいペットボトルのホットのカフェオレは外を歩きながら飲むから美味しいのであって、家で飲むとなんか思ってたのと違うってなりそうだ。いざ飲める環境を整えたら整えたで、多分そうなると思う。M-1のときの笑い飯みたいになると思う。絶対そう。


そんなペットウォーマー(おそらくこれが正式名称)を調べていて思い出したのが、幼稚園のころの冬のこと。冬になると1週間のうちのどこかで、持ってきたお弁当をまさにペットウォーマーのような恒温器に入れてお昼まで温めておくことができる日があった。その日が来ると母親はお弁当に星の王子さまカレーみたいな子ども用のカレーを入れてくれて、自分はそれがめちゃくちゃ好きで食べられる日が毎回楽しみだった(調べてみると正式名称はカレーの王子さまでした。なぜか星の王子さまが混ざってしまいました)。一度、温めておいてくれる日であることを母親が忘れてお弁当にイチゴを入れてしまい、食べるころには温められたイチゴがフニャフニャのドロドロになってしまっていた記憶もある。今になると、お弁当を温かいままにしておくのは雑菌が繁殖しやすい環境になってそうで衛生上どうなのかとは思うけれど、やっぱりご飯は温かいほうが美味しいから、あれはあれで良かったと思う。


話は変わって、最近レイ・ブラッドベリの小説「ウは宇宙船のウ」を読んだ。

 

 

小説の表紙には英語の原題である「R is for Rocket」の文字も書かれていて、それを見てなんで日本語版のタイトルも「ロはロケットのロ」にせんかってん、と思った。文庫本の後ろの方に載っている各短編の原題も「Rocket」という単語がめちゃくちゃ出てくる。でも、確かに小説を読んでいると、出てくる乗り物はアポロみたいなロケットというよりはスターウォーズのミレニアムファルコンみたいな宇宙船を想像した方がしっくり来る感じで、そうするとタイトルを「ウは宇宙船のウ」に変えたのもなるほどなと思えてきた。ってことは、英語のRocketには日本語のロケットという意味以外に宇宙船的なイメージも含まれているんだろうかと思い調べてみると、どうやらそういうわけでもなさそうだった。

 

eikaiwa.dmm.com


日本語の宇宙船は英語で言うと「Spaceship」で、やっぱそうよな、正直調べる前に頭の中に一回「宇宙船=Spaceship」って浮かんできたけどな、となった。そうなると原題の方の「R is for Rocket」ってタイトルがどうなん?という、まさかの本家にいちゃもんをつけるような考えが頭に浮かんでくる。しかし考えてもみれば、ブラッドベリの「R is for Rocket」は1962年に出版されていて、そのころにはまだアポロ11号が月に届いてすらいなかったもんだから(1969年7月20日に月面に着陸)、宇宙船なんてものはまだそんなにメジャーなものではなかったのかもしれない。なんならアポロ計画自体は1960年に始まったものであり、「R is for Rocket」が出版された1962年はおそらくロケットの全盛期真っ只中。だからタイトルが「R is for Rocket」 になってもなんらおかしくはない気がしてくる。では一体、Spaceshipの概念はいつぐらいからポピュラーなものになったのだろうか。いや、でも訳者の大西尹明さんは翻訳版の「ウは宇宙船のウ」 の初版が出版された1968年の時点で「宇宙船」というワードを使っている。日本人の大西さんが使っているのであれば、当時ソ連と宇宙開発の一番をかけて争っていたアメリカでは、それこそSpaceshipという言葉は普通に知れ渡っているもんだったのかもしれない。ていうか小説読んでたら別に宇宙船っぽい乗り物ばっかりじゃなくて、普通のロケットも出てくる。別に宇宙船という乗り物が普通に想像できる時代であったとしても「R is for Rocket」というロケットメインのタイトルでもおかしくない内容。無駄に色んなことを考えてしまった。そして、最終的になんやかんやで「ウは宇宙船のウ」というタイトルにはしっくり来ている。「ロはロケットのロ」ってなんだかショボいもんね。


こういう海外作品の邦題で引っかかるものとして一番に頭に浮かんでくるのは「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」である。原題は「A Hard Day's Night」で、もはや原型なんてものは跡形もなく消え去っているのだが、とりあえずビートルズの作品だと一発で分かるように付けられたんだなということは分かる。とにかくその一点だけに集中して、とりあえずビートルズのアルバムって分かりゃあ売れるだろうから、なんとしてもそれと分かるように……よしっ!タイトルは「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」だ! って感じで名付けられたのかと思うと、なんだか微笑ましい気持ちになる。ヤァ!ヤァ!ヤァ!て。いやヤァ!ヤァ!ヤァ!て。他にも、ポール・サイモンのアルバム「Still Crazy After All These Years」の歌詞カードで、収録されている同名曲の歌詞の「crazy」の部分が「狂っている」と訳されていて、そこはまだ君に夢中になってるみたいなニュアンスでいいやん、狂ってるってやりすぎやろ、とか思った記憶があるが、恋っていうのはえてしてそういうもんなのかもしれんね。知らんけどね。昔の海外のアーティストとなると、あまり個々のアルバムを丁寧に一枚ずつ聴くことはなくて、ベストアルバムだけしか聴かないことが自分には多い。ボブディランやQueen、そしてサイモン&ガーファンクルもそう。結局、ベストアルバムが一番手軽で、それだけで満足してしまう。最近はPixiesのベストの「Here Comes Your Man」ばかりをやたらとリピートして聴いている。

 


Pixies - Here Comes Your Man (Official Video)

 

スキップとローファーの6巻が発売されているのを本屋で見つけて手に取ると、帯にアニメ化決定!との文字が。

 

 

自分はアニメをそんなに見ないから、多分スキップとローファーがアニメ化されても見ないだろうけれど、めちゃくちゃ好きな漫画だからなんだか嬉しい。多分見ないだろうにも関わらずよ。ただ、帯にアニメ化決定!とあるせいで、これまで書かれていた「みつみといれば、〇〇」シリーズが突然の終わりを迎えてしまった。やっぱりネタ切れになってしまったんだろうか。1巻から4巻までは「みつみといれば、いつでも〇〇」だったところが、5巻では「みつみといれば、それだけでミラクル☆」になっていて、"いつでも"から"それだけ"に変わった時点でキツい感出てたからな。

 


サンボマスター - ミラクルをキミとおこしたいんです-web edit ver.-

 

まあそんなことはどうでもよくて、6巻も面白かった。イケメンで優しい性格なのに人との距離を取ってしまう志摩くんは、女子にとってなんて悩ましい存在なんだ。そして、みつみちゃんと志摩くんの電車の中での会話が良いし、5巻から6巻にかけて読んでいるとナオちゃんのことがめっちゃ好きになるしで、ホンマにいい漫画。とはいえ漫画の中では確実に時間は進んでいて、みつみちゃんの高校1年目も終わりを迎えた。いつかは終わる高校生活。そう思うとそれ町の時系列シャッフルって、高校3年間の時間の経過を感じさせながらも好きなタイミングで色んな話を書くことができる、いいシステムだったんだなと思う。

 

あとは面白いという噂を聞いたので、鳥山明の「SAND LAND」を読んだ。

 

 

まあ、ストーリー自体はわりと単純でぶっちゃけそんなに面白いわけではないのだけれど、キャラの造形が可愛かった。シーフが特に。鳥山明はちょっと生意気な子どもとオッサンが好きなんだろうか(じいさんを描くのが楽しいとは、表紙カバーの折り返しで言っている)。ベルゼブブとシーフのコンビがいい。っていうかシーフがいい。オッサンのわりに活躍したら普通にはしゃぐのがいい。SAND LANDを読んでいると、なんだかアラレちゃんを読み返したくなってくる。あとは森とんかつの「スイカ」って漫画にもちょっとハマってます。THANK YOU!

アイスクリーム日和

今日、お昼ご飯を買いにセブンイレブンへと行った道すがら、見かけた人たちの半分ぐらいが半袖を着ていた。確かに最近は暖かくなって来た。先週の木曜日の会社帰りの夕方なんて、自転車で走っているとめちゃくちゃ過ごしやすくて気持ちのいい完璧な気温で、もし自分が今バイト先へ夜からのシフトに向かう大学生だったら、バックレて自転車でブラブラするだろうなと、絶対にバックレないくせにそう思った。バックレたことなど人生で一度たりともない。今日も天気は良くて暖かかったけれど、家から網戸越しに外の様子を眺めているだけでは、なんとなく半袖を着るにはまだ早い気がして、半袖の上に薄手の上着を羽織った格好で外に出た。


セブンイレブンのパンコーナーを眺めているとpanpanyaが日記に書いていた台湾カステラらしきものを発見した。

 

www.panpanya.com

 

panpanyaは一時期、カステラ風蒸しケーキにどハマりしている日記を書いていたのだが(カステラ風蒸しケーキについて書かれた日記は結構長い間続いて、最終的にタイトルが「続続続続続続続続続続・カステラ風蒸しケーキ」とマキシマムザホルモンの曲名みたいになるほどであった)、今は台湾カステラにハマり始めている雰囲気がある。セブンイレブンにあったのもヤマザキが出しているものであったし、間にクリームが挟まってそうな断層の見える見た目をしていたので多分同じものだと思う。買ってみるか悩んだ結果、そんなにカステラは好きじゃないと思い直し買わずにスルーした。そのまま目線を下げると「あんこが入った揚げ食パン」が目に入って、自分はこのパンが好きでそれを買おうと思ったのだけれど、昨日ローソンで買ったプレミアムロールケーキが冷蔵庫に入っているのを思い出して、結局こっちも買うのをやめてお昼ご飯のお弁当だけを買ってセブンイレブンを後にした。ときにpanpanyaのホームページの「SURMICLUSSER」って言葉はどういう意味なんでしょうか。


セブンイレブンからの帰り道、半袖は早い気がするとはいえ、少し汗ばむくらいには暑くてアイスクリーム日和だなあなんてことを思う。

 


そうするとセブンイレブンでアイスを買ったらよかったとなったのだが、引き返して買うほどではないともなり、そのまま家に向かった。台湾カステラも揚げ食パンもアイスもスルーしたこの買わなさたるや、お金がなかったから部活帰りにLチキとジュースの両方を買いたいけれどもどちらかを諦めるしかなかった高校時代の自分からしたら、今は買えるぐらいのお金あるねんから買えよ!と叫びたくなるほどであろう。それでもアイス食べたいなーとは思い続けていて、そこからLUCKY TAPESの「Gun」が頭に浮かんできて、聴きながら歩いた。

 


LUCKY TAPES - Gun (Official Music Video)


MVには沖縄のアイスクリーム屋であるブルーシールが出てくる。大学のときに行った沖縄でも、この曲を聴いたしブルーシールのアイスも食べた。そんなことを思い出しては楽しかったなあと思いながらも、流石に思い出はいつも綺麗だけどそれだけじゃお腹が空いてきたからそろそろ旅行に行きたいとも思った。ブルーシールでアイスを買うときは、ちんすこうなどの沖縄っぽいものは注文せずにストロベリーを頼みます。保守派です。もっと言えば暑い日にはオレンジソルベを食べたいから、ぶっちゃけ自分はブルーシールよりもサーティワン派である。

 


THE FULL TEENZ ‐ サーティーワン

 

ブルーシールに大納言あずきがあったら大納言あずき行ってるのに。


土曜日には和山やまの「女の園の星」の2巻を読んで、これが相変わらず面白かった。

 

女の園の星(2)【電子限定特典付】 (FEEL COMICS swing)

女の園の星(2)【電子限定特典付】 (FEEL COMICS swing)

  • 作者:和山やま
  • 発売日: 2021/05/08
  • メディア: Kindle版
 

 

特に10時間目の女子高生たちの会話が最高。誰もそんなに強くはツッコまずにそのまま話が続いていくのがいい。おでんの好きな具にウィンナーはありかなしか問題。ありでしょうよ。自分の実家でもおでんの具としてウィンナーがラインナップされていたけれど、ひとり2本までという謎のルールが決められていて、小学生のころなんかはその謎の縛りが本当に理解できなかった。ウィンナー5本ぐらい食べたいと思っていた。ていうか小学生のころはおでんがあんまり好きじゃなかった。ゆでたまごの黄身が出汁に広がるのが嫌いだったし、練り物もそんなに好きじゃなかった。そもそもあのくらいの年齢でおでんが好きな子どもはいるんだろうか。渋すぎるやろ。そう思うと、小学生のときに習っていたソフトボールの大会のときなどに出されるお弁当に入っていた筑前煮なども意味が分からなかった。煮物が好きな小学生っておんの?渋すぎん?いや、おるにはおるんでしょうけど。普通にウィンナー、唐揚げ、エビフライとかでいいのに。あとは、お~いお茶などのペットボトルのお茶も、子どものころはレアアイテムだったなと思う。それこそ習い事などで外でお昼ご飯が用意されたときにしか飲まなかったから、家のお茶とは違うその味は結構印象に残るようなものだった気がする。それが今ではめちゃくちゃ買って飲むようになりましたよ。なんだかどうでもいい話をつらつらと書いてしまったけれど、ここで言いたいのは自分は高橋くんの味方だということです。それにしても、個人的に和山やま先生の芯の捉え具合はえげつない。おでんの好きな具はウィンナーとか、そのあとの炙りカルビ?とか、「夢中さ、君に。」でのおれは小便中に話しかけられるのは嫌いだとか。確かになんやかんやでおでんの具ではウィンナーが一番美味しいと思うときがあるし、炙りカルビの寿司もめちゃくちゃ美味しくて好きだし(もしかしてサーティワンでオレンジソルベとかブルーハワイなどのシャーベット系のアイスばっかり食べるのも幼い男子っぽい?)、あんまり仲良くない知り合い程度の人に小便中に話しかけられると心の中で『そんなんいらんねん』とも思う。こんなこといちいち誰かに話したりはしないけど、和山先生の漫画を読むとそれがいちいち誰かに言いたくなる、この素晴らしさ。おでんのウィンナーってマジで美味しいから。他にもポチやいとか、焼きそばパンにも怒りなさい理論とか、まだまだ面白いところはいっぱいあって、和山やま先生、最高やなあとなりました。

開架式書架の前で深刻ぶる在りし日

金曜日。雨ということで電車にて通勤。ウォークマンでThe Bandのセルフタイトルアルバム「The Band」を聴いていると、めちゃくちゃ気持ちがしっとりしてきて家に帰りたくなった。

 

The Band

The Band

  • アーティスト:The Band
  • 発売日: 2001/08/27
  • メディア: CD
 

 

このアルバムは家でゆっくり聴くのが良くて、通勤中の電車で聴くと完全に労働意欲が削がれてやる気ゼロになってしまう。ただでさえ家を出た瞬間に『家に帰りてー』って思ってんのに。特に「Whispering Pines」を聴くともうダメです。

 

 

松の木って英語でPineって言うんですね。日本では松の木は神が宿る神木とされ、門松なんかにも使われているから、なんとなく和の植物っぽい印象をもっていたけれど、アメリカでも街路樹として普通に生えてんだね。さらにこの曲に加えてHomecomingsの「Videotapes」を聴いて、もうフニャフニャになる。

 


TOKYO ACOUSTIC SESSION : Homecomings - Videotapes

 

そんな感じで会社に到着したもんだから、完全にLowな状態で仕事に入ってそのまま低空飛行で業務終了。それにもかかわらず「一週間頑張ったぞ!」と謎の充足感を得ながら帰り道を歩く。いや、正確には「一週間耐えきったぞ!」やな。

 

最近はマガジンで連載しているサッカー漫画「ブルーロック」が面白い。

 

pocket.shonenmagazine.com

 

スマホアプリのマガポケで金も払わずに無料でチマチマと読んでいるんだけれど、集めようかしらと思うほど。マガジンのスポーツ漫画って、必殺技とかがじゃんじゃん出てくるジャンプのものと違って、割と真面目というか、どっちかと言えば現実寄りなものが多いイメージを個人的にもっていたのだけれど、ブルーロックはそんなマガジンのスポーツ漫画とジャンプのスポーツ漫画のちょうど中間といった感じで、非常にいい塩梅でございます。特に76話が面白すぎて、この話だけこれまた広告動画を視聴することで無料でゲットできるポイントをチマチマ集めて購入しました。凪誠士郎はもはや第二の主人公と言いたいほどカッコいい。「蹴撃・・・的な空砲!」からのーーーがカッコ良すぎてもうね・・・。何回も読み直してしまいます。

 

ほんでもってスピリッツで連載されている「チ。ー地球の運動についてー」も面白そう。

 

bigcomicbros.net

 

面白いとは言い切らず面白そうと言ったのは、まだ2話までしか読んでないからなんですけれど。今じゃあ地動説なんて意識することなくすんなりと受け入れられているけれど、昔は天動説が主流で、さらには地動説を唱えようもんなら迫害される恐れもあったなんて。とはいえいまだに似非科学なるものは世の中にはびこっているわけでして、さらには似非科学のみでなく、わたしたちは感情に従って生きているもんだから、トイレットペーパーがなくなると言われりゃ不安になって、ウソかホントかも確かめずに薬局に大行列を作るわけでございます。そんな時代だからこそ、この漫画が連載される意味みたいなものを考えてしまうんだけれど。それにしても、この「チ。ー地球の運動についてー」を読んだ後にPeeping Lifeを見ると、ギャップでより一層和む。

 


地動説という仮説 Peeping Life-World History #29

 

ブルーロックは無料でせこせこ読んでいるにも関わらず、永田紅の絶版になっている歌集「日輪」は思い切って購入。

 

日輪―永田紅歌集

日輪―永田紅歌集

 

 

開架式書架をへだててひらひらと行き来する君 深刻ぶるな

 

これはきっと、大学で思いを寄せる人が図書館で文献などを探している姿を見て詠まれた相聞歌。「君」が付いただけで「深刻ぶるな」といった台詞が一気に恋の眼差しを含んだもののように感じられてくる。恋とかどうとかは一旦置いておいて、わたしも卒論を書いているときには参考文献を探しによく図書館に行ったもんだけれど、実際には特に用もないのに息抜きに何となく訪れていたことのほうが多かった気がする。探している文献なんてないのに、なにかを探しているような顔をして本棚を眺める。深刻ぶるな。本当は知りたいことも、言いたいことも、特にないのかもしれないねって、そう思ってしまうときもある。

~2020年8月、9月に読んだ漫画たち~

タイトルを波線で囲んだりしちゃいました。っていうことで、マジ漫画読んでます。

 

チェンソーマン 8 (ジャンプコミックスDIGITAL)

チェンソーマン 8 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

チェンソーマンは本当に面白いなと思っていましたが、出てきたキャラが覚える前に死んでいくし、あれ?これ誰やったっけ?みたいなキャラもちょいちょいいて、ちょっとずつついていけない展開が増えてきました。まあでもこの巻のタイトルが「ちょうめちゃくちゃ」なんで仕方ないですね。読み返す、もしくはもう少し読み進めることで分かるようになるのでしょうか。諦めてしばらく読み続けます。とはいえ、なんかよう分からんけど、面白いのがすごいところ。今自分が高校生だったのなら、部活の時間に友達とこの漫画の話ばかりをしているだろう、それくらい謎の魅力があります。

 

スキップとローファー(4) (アフタヌーンコミックス)
 

 

この、チェンソーマンからスキップとローファーの振り幅ね。心が洗われるようでございます。とはいえ、スキップとローファーも読んでいる間は人間関係から来る独特の緊張感があって、なんだかソワソワしながら読んでしまう。なんやかんやでみんなみつみちゃんに救われるんだけれど、そのみつみちゃんが神様、仏様みたいな全知全能ではなくて、みつみちゃん自身も色々悩んでいるのがいい。この、みつみちゃんも精一杯生きてるって感じ。そして、そんなみつみちゃんを救ってくれるのがふみちゃんっていう関係性。ふみちゃん、わたしとも友達になってください(この巻にふみちゃんは出てこないけど)。そして、相変わらずみつみちゃんの顔が面白くて、四巻では投票用紙を切っているときのカエルみたいな顔がお気に入りです。漫画の帯には毎回「みつみといれば、いつのまにか〇〇」といった宣伝文句が書かれており、一巻から順番にハッピー、スマイル、ジョイフル、ポジティブとなっている。三巻のジョイフルでちょっとキツそうになったところを、四巻のポジティブで持ち直した感じはある。果たしてこれから〇〇に入るワードはどうなっていくのか。いつまで続けられるのか。ワンダフルとかシュプリームとかどうでしょうか?そして、その単語の並びからなんとなくドリカムの「うれしい!たのしい!大好き!」を思い出す。

 


DREAMS COME TRUE - うれしい!たのしい!大好き!(from DWL2007 Live Ver.)

 

 

あっという間に終わってしまった、田島列島の「水は海に向かって流れる」。この三巻はTHE 最終巻といった感じでサクサク話が進んだ印象でした。「水は海に向かって流れる」には各巻に胸が熱くなるシーンがあるんですけれど、この最終巻ではカツアゲ募金箱ぶち込みシュートのところが良すぎました。こんなに一生懸命な仕返しがあるでしょうか。とはいえ、物語が始まるワクワク感みたいなものが漂っていた作品序盤がやっぱり好きで、全部読み終わった直後には、宮藤官九郎のドラマを見たときみたいな若干の物足りなさを感じてしまった。っていうのも、田島列島の漫画もクドカンのドラマもどちらも、ストーリーに夢中になっているというよりは、キャラ同士のやりとりが好きだからかもしれない(いや、ストーリーももちろん面白いんだけれど、それ以上に)。だから、終わってしまったときには喪失感というよりは、先ほども書いた『ああ、もうあの面白いやりとりが見れんのか』といった物足りなさを感じてしまう。とはいえ、この漫画はこれから何度も読み返すことになるだろう。ていうか、もう読み返している。なんだかんだ最高。

 

カラオケ行こ! (ビームコミックス)

カラオケ行こ! (ビームコミックス)

  • 作者:和山 やま
  • 発売日: 2020/09/12
  • メディア: Kindle版
 

 

和山やまの漫画、めちゃくちゃ面白いね。出てくるキャラ全員がなんかちょっと可愛い。キティちゃん恐怖症のひとは優しいし、「カスです」という評価を下された人の語尾は「~もん」やしで、読んでいたらもうみんな仲よくしようという意味分からん感情が湧いてきます。楽しい会話をして、楽しく生きよう。

中学生でもあるまいし『この曲サビないやん』とかはもう思わない

家にいる時間が多くなると自然とネットサーフィンにかける時間も増えてしまい、その結果、ずっと欲しかった本などをポチポチと購入してしまいました。

 

いつものはなし

いつものはなし

 

 

「不思議というには地味な話」が新版として復活したため、こちらも絶版のところを復刊してくれないもんかと待っていましたが、ついに堪えきれずに買ってしまいました。近藤聡乃の描く線の柔らかさが好きすぎて、肘とか親指の付け根の膨らんでるところとかの描き方を眺めているとたまらない気持ちになってきます。この本に収録されている話には、昔のことを不意に思い出したけれど、その思い出したことは果たして本当に記憶通りだったっけ?といったものが多い。

 

思い出してはみたものの、本当のことかわかりません

楽しかったはずなのに、なんだかとてもあいまいです

いつもいつも私はこんなことばかりしている気がします

 

昔懐かしい夢を見たけれど、その日の午後にはそれがどんな内容だったのかを忘れてしまい、思い出そうとしても全く出てこない。そして、そんな忘れてしまった夢を思い出そうとしたことそれ自体も次の日には忘れてしまっている。でも、そんな風にして忘れてしまうのはなにも夢ばかりではなくて、現実の出来事だって同じなのかもしれない。この本にはそのようななんとも言えない独特の浮遊感がある。わたしゃあ最近、高校時代のことを思い出していると、そこに大学生になってからの友達がいたような気がしてくることがちょいちょい増えてきた。その度に、学校の友達全員が今までの仲の良い友達であるオールスター版の高校生活を過ごしてみたいと思ってしまう。手塚治虫ばりのスターシステム。絶対に楽しいはず...はず...はず...

 

新装版 茄子 上 (アフタヌーンKC)

新装版 茄子 上 (アフタヌーンKC)

  • 作者:黒田 硫黄
  • 発売日: 2009/01/23
  • メディア: コミック
 

 

新装版 茄子 下 (アフタヌーンKC)

新装版 茄子 下 (アフタヌーンKC)

  • 作者:黒田 硫黄
  • 発売日: 2009/02/23
  • メディア: コミック
 

 

黒田硫黄の「茄子」は宇多川八寸さんのnoteを見て知った。

 

note.com

 

こちらの漫画も絶版しており、コロナ禍以前にあちこち古本屋を巡って探したのだが、そもそも黒田硫黄の漫画が古本屋には全然置かれていなかった。あったとしてもアップルシードぐらいだった。ほんで京都国際マンガミュージアムの所蔵を調べてみたところ、どうやらここにはあるぞとなった矢先、コロナ禍で営業休止(今はやってます)。っていうことでネットで買ってしまいました。この漫画は何かストーリーがあるといったものではなく、生きている時間そのものを描いていて、読んでいると湿気みたいなものがすごく感じられる。そして、結構読むのに疲れました。でもこの疲れたっていうのは、一般的にマイナスの意味に捉えられるかもしれないけれど、決してそうではなくて、普通のストーリーのある漫画じゃあ省かれるような部分もいちいち描いてくれているからこそ抱いた印象なのだと思う。まあそれが逆に漫画にはストーリーがあるものだ、それが当たり前だと思っている人にとっては「それで何が言いたいん?」みたいに思えてきて、読んでいてストレスを感じる要因になりうるのだろうとも思います。音楽とかでも抑揚の少ない曲を聴いて『サビないやん』とか思う人にはこの漫画は向いてないと思います。でもわたしにとっては、この漫画の、夜の台所の前に立って歯磨きをしながら独り言を言う瞬間だとか、寝る前にホテルのベッドのサイドテーブルに眼鏡を置いて目を細める瞬間だとか、そういったいちいち描いてくれている瞬間が妙によくて、自分の生きている現実世界のある瞬間にまで繋がってくるような感覚を覚えるのです。『おれの人生にもそんな瞬間たまにあるわ』って、そう思えただけでなんであんなにも感動してしまうんでしょうね。っていうか茄子って美味しいよね。茄子自体にそんなに味はないけれど、煮びたしとかみたいにめちゃくちゃ調味料とかダシを吸うじゃないですか。そこがいいですよね。茄子の味噌炒め、簡単で美味しいので結構な頻度で作ってしまいます。

  

小説の自由 (中公文庫)

小説の自由 (中公文庫)

  • 作者:保坂和志
  • 発売日: 2012/12/19
  • メディア: Kindle版
 

 

「小説の自由」は、保坂和志が小説について考えたことを書いたシリーズのひとつ。続編の「小説の誕生」を先に読んで面白かったので買いました。面白いんだけれど、この本も読むのに体力を使うので、ちょっとずつ読んでいます。そうすると、反動としてサクッと読める本も欲しくなってきて、それには何かしら対談している本がいいなと思い、詩人の谷川俊太郎と歌人の岡野大嗣、木下龍也による連詩とその感想戦が収録された「今日は誰にも愛されたかった」を買った。

 

今日は誰にも愛されたかった(1200円+税、ナナロク社)

今日は誰にも愛されたかった(1200円+税、ナナロク社)

 

 

感想戦において谷川俊太郎が、対談の進行役を務めるナナロク社編集部の方からの、自身の作った詩に対するやや深読みをした質問に対して、否定するときはスパッと否定していたのが面白かった。ある作品に対して過剰に意味やメッセージを見出そうとするのはどうかと思うときもあるけれど、確かに自分の読み方はあっているんだろうかといったことは気になるもんなあ。そして谷川俊太郎の生み出した「詩骨(しぼね)」という言葉にグッとくる。なにかしらの出来事をなんでもストーリーに組み込んでドラマチックなオチを作り同情させるといった世間の流れに逆らって、どれだけ自分の見方、姿勢を保ち続けられるか。そんな分かりやすいように脚色されたドラマによって隠された、かき消された本当に大事な細部に気づくことができるのか。テーマは脱ストーリー、ドラマ化かもしれない。

 

ほんで夏ということで、ある日急にクレイジーケンバンドの「ガールフレンド」を思い出し、それ以来めちゃくちゃ聴いている。

 


クレイジーケンバンド / ガールフレンド

 

クレイジーケンバンドはね、歌詞のフレーズが魅力的なんです。ガールフレンドの「ってなわけでね」とか「中学生でもあっるっまいにっ!」とか。「中学生でもあっるっまいにっ!」のほうは、この曲を知ってる人相手には積極的に使っていきたいほど。

 

「中学生でもあっるっまいにっ!」、自分が中学生くらいのころに聴いていたアナログフィッシュとシャカラビッツのMVがYouTubeに上げられているのを発見して、テンションが上がった。

 


Analogfish - 夕暮れ

 


[SHAKALABBITS] "Ladybug" Full Ver. [Music Video]

 

シャカラビッツの「Ladybug」なんて、ガラケーの着うたにしておりましたから、大変懐かしい気持ちでございます。そういえばこの前、カウントダウンTVにロードオブメジャーのボーカルの人が出演していたらしいですね。こっちもめちゃくちゃ懐かしい。そんなにファンでもなかったけれど、中学ぐらいのときにベスト盤だけは聴いていました。

 

GOLDEN ROAD~BEST~

GOLDEN ROAD~BEST~

 

 

個人的に「スコール」が好きでした。

 

 

こういう風にして、懐かしい曲を一曲聴くと、連鎖反応的に当時よく聴いていた他の曲も聴きたくなってくる。シャカラビッツつながりで175Rの「空に唄えば」を思い出す。MDに入れてめちゃくちゃ聴いてたな。

 

 

曲の中で何度も訪れるサビの中でも、最後のサビだけハモるセンスよ。あそこにグッと来ていたもんよ。以前にも書いたことがあるけれど、小中学生のころのわたしは、曲のサビでは絶対にハモってほしい、ハモってくれななんか物足りんといった価値観をもっていた。

 

www.gissha.com

 

抑揚が少なくて分かりやすく盛り上がるところのない曲を聴いては『サビないやん』と思ってました。くるりの「赤い電車」とかを聴いて『サビないやん』って思っていました。それが今じゃあもう中学生でもないんで、ハモリモセズ、サビデトクニモリアガリモセズ、そういう曲の良さもわたしは分かるようになりました。曲のサビ以外の部分でも好きなところを見つけられるようになりました。少しは成長したというか、世界の捉え方の枠が広くなった気がします。