牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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夜の時間を持て余しているから散歩に行きたい

この前の月曜日から完全に春が来たって感じがする。それまでは少し肌寒い夜もあったが、今はもう涼しいくらいだ。桜の花は散ってしまい、それに代わって恐ろしいほどのスピードで木々に緑の葉が茂っている。桜って散ってからこんなにすぐに葉っぱが生えるんや。これが春の生命力か。

 

会社に新入社員が入ってきて、早くも二週間が経った。そして思うことは、自分が新入社員だった一年目って裏でこんなに品定めされていたんだということだ。恐ろしいよね。「あの子はできる子やけど、あの子は仕事が遅い」といった判定がこんなにも早々に下されていたなんて。まあでも思えば学生時代にやっていた飲食店のバイトもそうであった。バイト初日で「あんた仕事遅いわ」とおばちゃんに言われたときは普通に「しばいたろか。初日やぞ」と思った。人にされて嫌なことは自分もしないようにしようとは、本当にそうだと思うわけよ。

 

 

でもわたしの場合は、自分が優しくしてほしいから人に優しくするといういやらしい考えがありますけれども、まあそれは気にしないでおこう。が、しかし、こちらが新入社員を品定めしているように、新入社員のほうも誰がいい上司で誰がダメな上司かといったことは考えているわけで、わたしも新入社員のころはご多分に漏れずそのようなことを考えていた。そう考えるとどっちもどっちだなとも思うが、新入社員のほうが立場が弱いから大変かもしれない。そしてなんとなく村上春樹のエルサレムでのスピーチを思い出した。

 

blog.tatsuru.com

 

話は変わるが、最近本を読む気が起きない。まあこんなことはよくあることだが、これが来るたびに『おれこのまま全然読まんようになるんちゃうか?』と思ってしまう。いわゆる積読本がいっぱいあるのに、YouTubeを見たり、ネットサーフィンをしたりしてしまう。「夜は短し歩けよ乙女」の予告動画をひたすらに見る。

 


『夜は短し歩けよ乙女』 90秒予告

 

アジカンの「荒野を歩け」、いい。ゴールデンウィークは持て余した夜の時間、この曲を聴きながら徘徊でもしたいな。それにしても主人公の声がめっちゃ星野源のまんま。ミニオンの鶴瓶ぐらい本人のまんま。

 

最近本を読んでいないと書いたが、小説は読んでいないけれど、漫画のほうは読んでいて、今は「それでも町は廻っている」を読み直している。それ町はフルネームで呼ぶとき「それでも町は廻ってる」と毎回"い"を抜きそうになる。まあそんなことはどうでもいい。この漫画は何回読み直してもいい。最高。2巻に載っている「ナイトウォーカー」という、主人公の歩鳥とその弟のタケルが夜の商店街を散歩する話を読んで、余計に夜に徘徊したい気持ちが芽生える。

 

それでも町は廻っている 2 (ヤングキングコミックス)

それでも町は廻っている 2 (ヤングキングコミックス)

 

  

というか、それ町にはなんとなくそういう気持ちが誘発されるような話が多い気がする。外に出たくなるというか、友だちに会いたくなるというか。そして、夜の商店街ということで、台風クラブの「相棒」のPVを思い出し聴きたくなる。

 


台風クラブ/相棒

 

あかん、最高や。イントロのギターでもうやられてしまう。台風クラブは歌詞が良すぎてダメだ。普通に仕事を辞めたくなる。何者かになりたいけれど、何者にもなりたくないといったよく分からない感情になる。そしてこの曲を聴いて、より夜の散歩に出たい気持ちに拍車がかかる。夜桜を見に行って本当は夜桜を愛でたいのではなくて、夜に外に出る口実が欲しいだけであったことに気がついた。そもそも桜は昼の日光の下で見たほうが綺麗であった。

 

www.gissha.com

 

多分、なにかしたいけど暇だという持て余した思いが、わたしを夜の散歩へと誘っているのだろう。今なら夜のコンビニ前にたむろしていたヤンキーたちの気持ちが分かる。中学生のころは全く分からなかったが。やつらはわたしよりも数歩先を進んでいた大人であったのではないだろうか。こんなことを何回もこのブログで書いてしまう。

 

なんにせよ、夜の散歩に行きたくなるような音楽やら小説やらといった作品をゴールデンウィークは探そうと思います。ゴールデンウィークまで残り一週間、早く過ぎてしまえ。

桜は昼に見たほうがいいのかもしれない

この前、NHK BSプレミアムの「ニッポン印象派」を見てからというもの、夜桜を見に行きたくなった。

 

www.gissha.com

 

ということで、土曜日に京都の二条城へ夜桜を見に行ってきました。二条城では今、桜まつりなるものが催されており、夜の6時から9時までの間、夜間の観覧が出来るようになっている。

 

nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp

 

二条城、一体誰のお城か存じ上げませぬが、夜にお邪魔しようではないか。とはいえ土曜日は大変お日柄もよく、お昼から京都を観光しようと考えていた。ところが、一緒に行こうと言っていた友人が前日に中々の残業をかましており、寝たいということで夕方からのスタートとなった。

 

夕方4時半ぐらいに京都駅に集合したものの、二条城の夜間観覧開始時刻の6時には大分早い。ということで京都駅にあるイノダコーヒーへ行く。本当は高田渡の「コーヒーブルース」の歌詞に出てくる三条堺町のイノダコーヒーに行きたかったけれど、今回は京都駅のイノダコーヒーへ。おなかが空いていたのでハムトーストとアイスカフェオレを注文する。ハムトーストに塩が付いてきたのだけれど、ハムトーストに塩を振るという行為にあまりピンと来ず、そのまま食べました。普通に美味しかったです。ときにイノダコーヒーのハムサラダって1300円もするんやね。ハム三枚にサラダで1300円って高くないか?と友達とびっくりした。ハム三枚やで?いや、いいとこのハムを使ってるんかもしれんけど。そんなに美味しいのだろうか。友人に守銭奴と呼ばれているわたしは、しばらく注文できそうにないです。

 

blogs.yahoo.co.jp

 

「6時に二条城に着いても、まだ日が明るくて夜桜が見れんのちゃう?」ということで、結構な時間イノダコーヒーでダラダラした後、市営地下鉄に乗って二条城前駅に6時45分ぐらいに到着。駅から出てすぐのところに二条城があるのだが、行ってみるとものすごい行列が。みんな夜桜を見に来てんのね。チケットを購入するために並び、最後尾の案内プレートをもっている学生アルバイトらしき男の子にどのくらい並べばいいのかと聞いてみると、「だいたい1時間ぐらいはかかります。」とのこと。それを聞いていたわたしたちの後ろのカップルの彼氏が「どうする?別のところに行く?八坂のほうに行ってみる?」と彼女に聞いていた。これがもし付き合ったばかりであったり付き合う前の状況であったら、割と気を遣う場面だよなあと思っちゃいました。なんかこういうときって、男の決断力が試される気がして緊張するよね。なんか引っ張っていかなアカンみたいなこと、考えちゃうよね。後ろのカップルはどうやら二条城の夜桜は諦めたようでどこかへ行ってしまった。彼女の機嫌が悪くならないことを祈る。頑張れ彼氏。一方、我々はファミレスで2、3時間駄弁るなどザラにあり、1時間ぐらい余裕で待てるやろということで、そのまま並ぶことにした。整列を促すバイトの子は、疲れが一度ピークに達したのか、変なテンションで整列をかけていて面白かった。列を乱す観光客に容赦なく注意していて大変頼れる男といった具合であった。

 

行列に並んで20分ぐらいすると、なにやらQRコードのプレートをもった新たなバイトの子が現れ、なにか言っている。よくよく聞いてみると、二条城のホームページで電子チケットを販売しており、そちらを買うとわざわざ並ばなくてもすぐに入れるとのこと。いや結構重要やん、その情報。なんでもっと大々的にアピールせんのよ。最後尾のバイトの子とか、変なテンションのバイトの子も、そういう情報を伝達するようにしたほうがいいんちゃう?まあなんにせよ、これから行こうと思っている人は電子チケットがオススメです。

 

www.asoview.com

 

わたしたちは速攻でこの電子チケットを購入し、列を抜けて入場した。電子チケットを買うとQRコードをゲットでき、それを入場口で見せると案内の人が読み込んでくれてスッと中に入ることができた。でも周りの人をみてみると、あんまりみんな電子チケットを買っていない。せっかく案内してくれているのに。いざ電子チケットを買って列を抜けて入れなかったらどうしようと思っちゃったんだろうか。まあ多少不安になる気持ちはわかるけど。

 

そしていざ入門。いきなり二条城に桜の映像を投影するプロジェクトマッピングのコーナーが。綺麗。大阪城でもこんなんやってたなあ。今どきの城はプロジェクトマッピングされる運命にあるのだろうか。

 

その後も城の敷地の中を回って夜桜を見る。なんか全体的に7分咲きぐらいで、少し物足りなかった。それに加えて、ライトアップの光の色がオレンジのものなどがあり、あんまり桜っぽく見えない。友達と「これは普通に昼間に来たほうが良かったんちゃう?」と、元も子もない結論に至ってしまった。夜桜はお金を払ってわざわざ見に来るものではなく、川沿いとかに咲いているものを散歩しながら見るのがいいのかもしれない。とはいえ、一応写真には収めようとスマホで夜桜を撮影したのだが、全然綺麗に撮れなかった。

 

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スマホよ、早く夜景に対応してくれ。全く綺麗に撮れなかったので、その場で夜景カメラなるアプリをダウンロードしてみた。なんでも写真を100枚連続で撮影し、その100枚を合成することで、疑似的に長時間露光したような状態を再現するといった仕組みのようだ。ただこれを使ってみたところであんまり綺麗じゃない。さらにはこのアプリで2回撮影しただけで、充電が50%から0%になってしまった。ガッデム。その後の桜の写真は撮影できずに終わってしまった。まあ、肉眼で見ることに集中できたとポジティブに考えよう。いいカメラが欲しい。

 

池に映し出された建物と夜桜の風景がめちゃくちゃ綺麗だったのが一番印象に残った。これが明鏡止水というものか。

 

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肉眼で見るともっと綺麗でした。

 

なんだかんだで楽しめた二条城の夜間観覧。京都駅に戻ってラーメンを食べて解散した。友達と別れて家に帰る道すがら、TOKIOの「花唄」と小沢健二の「流星ビバップ」を聴いた。TOKIOの「花唄」、めちゃくちゃ名曲だと思います。なんか切なくなります。小沢健二の「流星ビバップ」は、歌詞が好きだ。それに歌詞を詰め込んだように歌う感じも。

 

薫る風を切って公園を通る

汗をかき春の土を踏む

 

この部分の歌詞を思い出してベタに聴きたくなったのです。まだ夜は少し肌寒くて、汗をかくほど暖かくはないけれど。どちらかといえば、2番の歌詞が好きで、その中でも特に 

 

時は流れ傷は消えていく

それがイライラともどかしく

忘れてた誤ちが 

大人になり口を開ける時

流れ星探すことにしよう

もう子供じゃないならね

 

の部分がめちゃくちゃ好きだ。なんて切ないんだろう。この前の記事にも書いた「ぼくらが旅に出る理由」もいいけれど、「流星ビバップ」が一番オザケンの曲の中で好きかもしれない。というかアルバム「刹那」が良すぎる。

 

刹那

刹那

 

 

一応ベストアルバムという体ではあるようだが、このアルバムが発売されたころ、わたしはまだ幼かったからあんまりベストアルバムという印象をもてていない。普通のアルバムとして聴いている感覚。まあ、とはいえベストアルバムだから全曲いいし、最後の「流星ビバップ」のインストver.が、映画のエンドロールのような感じを醸し出していて、なんだかアルバムが綺麗にまとまって終わるような印象を受ける。とにかく最高である。そしてオザケンはつい先日、Twitterを開設したとのことで話題になっている。いきなりオザケン節の炸裂したツイートをしていてなんだか嬉しくなった。早く暖かくなって「流星ビバップ」をこれでもかというぐらい聴きながら散歩したい。

ピンク色の桜は陽光桜

今日、お昼ごはんを買いに行く途中の道で、めちゃくちゃ綺麗な桜が咲いていたのに気がついた。今年初めて目にした桜かもしれない。

 

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こちらの桜は神代曙(じんだいあけぼの)という品種のようだ。そしてその隣には、もう一本桜の木が植えられていた。

 

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こちらは陽光(ようこう)という品種。神代曙と比較して、陽光は花の色がピンクで目立っていた。わたしは分りやすくピンク色の強い陽光のほうが好きだなと思った。とはいえ神代曙のほうも、それはそれで鮮やかであった。少し風が吹いて、この2本の桜から花が散っていく様子がとても綺麗であったのと同時に、桜の花ってこんな弱い風でもすぐに散ってしまうんだなと感じた。そりゃあ道理で桜の季節は短いわなと、一人納得してしまった。

 

それにしても、この陽光のようなピンク色の桜ってあんまり見たことがないかもしれない。なんとなく絵を描いたりするときには桜の花をピンク色に塗ったりするけれど、実際に目にする桜の多くは、白色の花をもっているように思う。調べてみると、神代曙でも桜の中では花のピンク色は強いほうであるらしいが、それでもやっぱり、どちらかというと花の色は白色に寄っているような印象を持つ。それは隣に陽光が並んでいたせいかもしれないが。まあなんにせよ、この2本の桜の木はとても色鮮やかで、わたし以外にも通りすがりに立ち止まって写真を撮っている人の姿を目にした。

 

この桜の木を見た後、ベタに細野晴臣の「恋は桃色」を聴きたくなって、ポケットからウォークマンを取り出した。

 

 

この曲の桃色は、どちらかといえば神代曙ぐらいの淡い桃色のような気がする。サニーデイサービスがカバーしたバージョンも好きだ。

 

 

最近、細野さんは、この「恋は桃色」が収録されているアルバム「HOSONO HOUSE」を新録した「HOCHONO HOUSE」をリリースした。ホチョノハウス。なんかかわいいな。ただ正直にいうと、「恋は桃色」は好きではあるが、「HOSONO HOUSE」自体はそれほど頻繁には聴かない。そのため、「HOCHONO HOUSE」もまだ聴いていません。どちらかといえばトロピカル3部作と呼ばれる作品群のほうが、わたしは好きだ。とはいえ、この機会に聴きなおしてみれば新たな発見などもあり、好きになるかもしれないなと思った。聴いてみよう。

 

買い物帰りに駅を通ると、スーツや振袖を着た人の姿を目にした。そういえば明日は4月1日。大学の入学式や、会社の入社式などがあるんだろう。でも、なんで明日じゃなくて、今日スーツや振袖を着ていたんだろう。入学式や入社式を今日行っているところもあるんだろうか。それともそれ以外でなにかあるのか。そして、そんな行事とはもうあまり関係がなくなってしまったことを少し寂しく思った。けれども実際は入学式や入社式ってめんどくさいだけやったなと思い、そんなものがもう二度とないと思うとそれはそれで身軽な気持ちになった。

 

そして買い物の行きのときに、交通局っぽい人たちが道路の真ん中に糸を引いて細い線を書いていた。何をしているんだろうと思いながら、そのままお昼ご飯を買いに行き、帰りにその道を通ると、あっという間に綺麗に車線が塗りなおされていた。

 

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なるほど。あの糸を引っ張っていたのは、まっすぐに車線を道路に引くための下書きやってんな。それにしても、買い物に行っている間の、ものの30分ぐらいで引けるもんなんや。実際に引いている瞬間を見逃してしまったことが、なにかもったいないような気がしてきた。あんまり目にする機会でもなさそうだし、ちょっとだけ見てみたかった気がする。いや、そんなでもない気がする。そんなでもないな。

 

明日から新年度を迎えるということで、色んな所で色んなものが綺麗になったりしているんだろうか。中学生や高校生はクラス替えを思って、ワクワクしたり不安になったりしているんだろうか。まあ、わたしはいつも通りの生活が続くだけですけれども。

夜桜に誘われて春の宵の散歩に出かけよう(ニッポン印象派「東京 春の宵」)

NHKのBSプレミアムで放送されていた番組、ニッポン印象派の「東京 春の宵」が素晴らしかった。

 

www4.nhk.or.jp

 

番組冒頭、中国の詩人である蘇東坡の残した詩の一節「春宵一刻値千金」が紹介されていた。春の宵のひとときは素晴らしく、どんな千金にも代えがたいということを意味するこの言葉。その言葉の通り、美しい東京の春の宵の風景を、その風景にあった俳句を織り交ぜながら紹介するという番組の内容。紫色にライトアップされたスカイツリーや向島百花園の梅の花、浅草の伝法院にある枝垂れ桜に、隅田川や目黒川の桜などなど。なんといっても映像が高画質で綺麗すぎる。見ていると、春の夜の桜の妖しさに魅了され、外に出かけたくなってくる。

 

そして、春の夕方から夜にかけての移り変わりを表す俳句の言葉たち。少しずつ日が長くなってきた春の夕べを詠った次の俳句、

 

何として春の夕をまぎらさん

正岡子規

 

がとても気に入った。冬に比べて春には夕べが明るくなり、一日が長くなったように感じる。しかし、そんなせっかくの時間を手持ち無沙汰になり持て余してしまう。春の夕べをうまく過ごすには、どのようにすればよいのだろうと悩んでしまう。ただ、そんな風にして悩みながら過ごすその時間自体が、とても贅沢なひとときのように思える。

 

小石川植物園のたくさんの桜の木も壮観だ。

 

www.bg.s.u-tokyo.ac.jp

 

桜の花がスローモーションで散っていく映像に合わせて、

 

目つむれば若き我あり春の宵

高浜虚子

 

なんていう俳句を詠まれれば、誰だって否が応にも感傷的になってしまうのではないだろうか。小石川植物園の映像で柴田聡子の「芝の青さ」を思い出し、より感傷的になる。

 


柴田聡子/芝の青さPV

 

柴田聡子の新作は、すっかり垢抜けていてすごくポップで良かったけれど、このころも好きです。

 

梅や桜などの植物ばかりでなく、東京の夜の街並みも美しい。夜、東京のビルの上にポツンと浮かぶ満月。その満月を詠った

 

春の月 慈母のごとくに 翳りなし

塩崎晩紅里

 

という俳句。月の明かりはなぜこんなにも優しく見えるのだろうか。月は女性の象徴とされることがあり、この慈母のごとくという表現もなぜか自然と受け入れられる。実際、女性の生理的なリズムは月のリズムと一体となっていると聞いたことがある。それにしてもこの番組の映像、本当に心が癒される。東京タワーの骨格の隙間から見えるゆっくりと上昇していくエレベーターの姿が、なぜかわたしの心に刺さった。

 

 

寒さが和らぎ夜が過ごしやすくなってくると、散歩に出かけたくなるね。最寄駅のひとつ前の駅は、そこで降りても全然家まで歩ける距離にあるから、あえてその駅で降りることがよくある。そして、歩きながら音楽を聴くのがいい。今は自転車通勤だから音楽を聴きながらといったことはできないけれど、大学生のころは電車通学であり、電車の中で駅から家までの道すがらに聴くプレイリストを作成するのが楽しかった。振り返ってみれば、あれは結構な至福の時間だったような気がする。よく流していたのはこんな曲たちだった。

 

 

万葉の夜に

万葉の夜に

  • スムルース
  • ロック
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

 

 

 

特にリズムステップループスによるtofubeatsの「水星」I'm at ホテルオークラ_MIXはめちゃくちゃ聴いた。正直、原曲よりも好きだ。何よりジャケットがいい。神戸のハーバーランドにあるホテルオークラの写真。tofubeatsの出身地が神戸であり、原曲の「水星」のロケ地も神戸であることから、この写真が選ばれたんだろう。神戸によく通っていた人には、このジャケットにグッとくるものがあるでしょうよ。曲自体は、竹内まりやの「plastic love」を引用してリミックスされており、このリミックスはセンス抜群ではないでしょうか。そしてこの竹内まりやの「plastic love」は今、海外で人気となっている。

 

block.fm

 

近年流行したVaporwaveやFuture Funkなどによって日本のシティポップが海外で発掘されている影響を受けてのようだ。

 

www.gissha.com

 

そして、巡り巡って「水星」の本家であるtofubeatsが、竹内まりやの「plastic love」をカバーするといったなんとも面白いことになっている。

 

花見なんてこれまでしたこともないけれど、仲のいい友達と規模は小さくてもいいから夜桜を見ながら話すのもいいかもなあと、この番組を見て思った。そして帰り道には、花見の余韻を味わいながら音楽を聴きながら歩いて帰るのもいいんじゃないでしょうか。

川沿いの土手を自転車で走るのが心地よくなってきた今日この頃

今さら存在を知ったバンド、1983(イチキュウハチサン)のこの曲が良すぎる。

 


1983『サマーミラージュ』 (OFFICIAL MUSIC VIDEO)

 

 

出だしの歌詞の

 

川を渡る陸橋を走るブルートレイン

Slow Step Coming

 

の部分が恐ろしいほど自然にスルッと入ってくる。なんていう聴き心地の良さと映像が浮かぶ歌詞。トランペットやフルート、シンセサイザーの音色が心地よい。わたしは会社への通勤手段として自転車を使っているのだが、いつも川の土手を走って会社へと向かう。その途中でまさにこの歌詞のように、電車の色こそブルートレインではなく赤色や黄色ではあるが、川にかかった橋の上を電車が走る地点があるのだ。最近はこの地点の踏切を渡るときは、この曲が頭の中で流れて仕方がない。そして、それは少しづつ暖かくなってきた気候のせいもあるだろう。この曲のタイトルは「サマーミラージュ」であり、夏の曲ではあるが、個人的に春の入り口でもドンピシャで聴ける。実際、最近は川の土手を走っていると、草いきれとまでは言わないが草のにおいがするようになってきて、いよいよ春到来といった感じでワクワクする。この曲を口ずさみながら自転車を漕いでいると、口にちっちゃい虫が入りそうになることもある。ちょっと前までは草のにおいもしないし、虫もいなかったのに、春の生命力を徐々に感じるようになってきた。たとえ天気予報の気温が低くても、日差しの中にいれば暖かさを感じるいい季節。会社から早く帰ってきてすぐにお風呂に入り、お風呂から上がってもまだ空の色が明るい感じも好きだ。そして、通勤で走っている川では、早朝から60代くらいのおっちゃんがトランペットを練習しており、おそらく始めたばかりといった感じだ。齢を取っていても新しいことを始められる行動力に対して、純粋に尊敬の念を抱く。ただ、けっこう長い間「プァーーー」という単音で吹いている様子しか目にしておらず、いつになったら曲を、メロディを演奏しだすのだろうと気になっている。

 

 

このバンド1983、名前の由来がベースの方が1983年生まれだからという力の抜けた感じ。

 

www.the1983band.com

 

この、あんまりガツガツ売れようと力の入っていないバンド名も個人的に好きです。YouTubeでも「1983 バンド」と打たないとヒットしません。でもそこがいいのです。そしてボーカルの関さんの声が特徴的であり、ぶっちゃけキリンジが頭をよぎってしまう。と思っていたら関さんの声は「キリンジの三男坊」と称されているようで、やっぱりねという感じだ。ただまあキリンジ自体、兄弟の声がそこまで似ているわけではなく、関さんの声は弟の方に似ているわけで、声質でいうとお兄ちゃんがちょっとはみ出してしまっている。お兄ちゃんと弟は実の兄弟なのに、声質でいえば弟と関さんが実の兄弟みたいになっちゃってる。まあ、細かいことはいい。そして、今年の5/15にはサードアルバムの「渚にきこえて(Passes on the Other Ocean)」が発売されるとのことだ。

 


1983 『文化の日』 (Official Music Video)

 

この「文化の日」と上に挙げた「サマーミラージュ」がすごい良かったので、この2曲が収録されているセカンドアルバム「golden hour」を速攻買ってしまった。楽天でなぜか半額でお買い得であった。

 

 

そして話は変わるが、芸人のかが屋の単体のチャンネルがYouTubeに開設されてとても嬉しい。昨日もウッチャンがMCをしているネタ番組の「にちようチャップリン」に出ており、確実に目にする機会が増えていっている気がする。昨日は年末のあらびき団でも披露していた年金のネタをしていて、相変わらず面白かった。かが屋のネタはスケールが小さくて突飛じゃないのがいい。友達とのいざこざや、電車や喫茶店でのちょっとした出来事など、ネタをみると面白いけどなぜか優しい気持ちにもなれる。基本的にライブは関東で行っているようで、観に行けそうにないのが残念だ。個人的に事務所は違うがロングコートダディあたりと関西でツーマンライブをやってほしい。そうしたら絶対に観に行くのに。調べてみると、かが屋の所属するマセキ芸能社の芸人は関東の吉本の劇場での公演にちょくちょく出ているようだ。でもやっぱり関西では全然出ていない。かが屋、いつか関西に来てくれ、生でネタを観てみたい。

 

卒業ソングの良さは卒業して時間がたってから気づく

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毎朝の通勤経路でよく目にしていた男子高校生の姿を、最近めっきり見かけなくなった。春休みにはまだ早い時期だから、彼は高校3年生で卒業してしまったのだろうか。高校の卒業式はだいたい3月の1、2週目だった気がするから、卒業なら合点がいく。

 

わたしは卒業式では全く泣かないタイプであり、特に感動もしなかった。めちゃくちゃ泣いてる友達とかを見ても、『別に一生の別れでもないし、また会おうと思ったら会えるしなあ』と思っていた。でも今なら、卒業することの寂しさは卒業して時間が経ってからやってくるということを知っている。もう戻れないという事実を噛み締めたころに寂しさはやってくる。部活中に今週のジャンプの話をしたり、テストの点数を競ってジュースを賭けたり、後ろの黒板に先生の似顔絵を描いて笑ったりする時間はもう二度とやってこない。渡り廊下を歩くことなんてもうないんだろうな。まあ、そんなことを思うようになると、今まで分からなかった卒業ソングの良さも分かるようになってくる。ちなみに、わたしがここでいう卒業ソングとは合唱曲のことである。

 

例えば「仰げば尊し」。

 

 

実際に卒業式で歌うことはなかったが、今この曲を聴くと良いなと思う。果たしてこの曲で歌われているような師に出会えたかどうかは難しいところだが。ただ、この曲の歌詞は少し難解である。特に2番の「やよ」とは一体どういう意味だろう。

 

www.dwc.doshisha.ac.jp

 

このサイトによると「やよ」は呼びかけの言葉であり特に意味はないようだ。ただ後ろに続く言葉を強調するような効果があるらしい。だから、2番の歌詞の「やよ忘るな」は「忘れるな!」という風になる。

 

「今日の日はさようなら」も今聴くとなかなか胸に迫るものがある。

 

 

この曲が森山良子の楽曲であるとは知らなかった。そして直太朗は同じ曲名で全く異なった曲を出している。いつまでも絶えることなく友達でいることの難しさは歳を重ねないと分からない。冒頭にも書いたように、卒業式の時点では自分は友達といつでもまた会えると思っていた。ただ、高校を卒業して時間が経つと、あの頃仲の良かった友達とは気づけばあまり会わなくなっている。普段生活しているときはこの事実を意識することはないが、ある夜にふと『そういえばあの子どうしてるだろう』と思うことがある。そして、『あの子はいいヤツだったなあ』と思い出し、彼には本当に幸せな人生を送っていてほしいとか考えたりする。

 

卒業した後と次の環境に移るまでの期間。特に小学生から中学生の間は何にも考えてなかった気がする。特にこだわりのない髪型をして制服を着ている自分の写真を母親がケータイで撮っていた。ネクタイは中学に入学するときに初めて巻いた。あの頃は、春も夏も秋も冬も気温の変化以外の違いは意味していなかった。別に春は出会いと別れの季節とは思っていなかったし、夏は暑いだけで少年時代を思い出すキッカケの季節でもなかった。まあそりゃそうか。秋なんかどうでもよかったし、冬は別に人肌恋しくもなんともない。ただ持久走が嫌なだけの季節。海を見に行きたいとも思わなかった。別れた誰かのことを思い出すこともなかった。雨の日に必要以上に気持ちが沈むこともなかった。ただ部活の筋トレが嫌だなあと思うだけだった。夜に何となく散歩したくなることもなかった。手足に重りをつけて日中過ごしていれば外した時に強くなれると思っていた。月が綺麗な日があるなんて気にすることもなかった。ジャンプを読めばちゃんと面白かったし、赤マルジャンプが合併号の穴埋めなことも知らなかった。アルバム1枚で捨て曲がない名盤をひたすら探していた。

 

本当に何度も思うことだが、日常の素晴らしさや芸術の良さが分かるようになるということは、代わりになにかを失っているような気がして仕方がない。神社仏閣の良さが分かり出したら大人。季節の変化を気にしだしたら大人。スポーツをすることより観ることが多くなったら大人。卒業ソングの良さが分かりだしたら大人。なんか落ち着いてきたなあ。

 

そして大学を卒業して、もう人生において卒業することは無いんだなと思う。

 

卒業は遠ざかること プレパラートに頭を寄せ合えるこの夜からも

永田紅

 

あんなに早く抜け出したかった研究室生活も、今じゃ懐かしく思えるのは、教授の文句を言いながら一緒に過ごした友人たちのおかげだろう。

 

でもこうやって振り返ってみると、思い出補正がかかり過ぎている気もする。あの頃は本当に今思っているほど楽しかったのだろうか。あの頃考えていたこと、もっとちゃんと日記とかに書いて残しておいたら良かったと今になって思う。

トリスのCM、キャスティングも加山雄三の曲もセンス抜群ではないでしょうか

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このトリスのCMが良すぎてたまりません。

 


サントリーウイスキー トリス<クラシック>『 歌う、しあわせだなあ・瓶』篇 30秒 サントリー

 

このCM、吉高由里子のいいところがギュッと詰まっている気がする。というか吉高由里子とロバートの馬場ちゃんの2人というキャスティングの妙。ありです。

 

馬場ちゃんは、見た目が繊細そうだし料理もできることから中性的なイメージがある。かたや吉高由里子は活発で元気なイメージ(完全に芸人の「ハイボール!」っていうモノマネのせいだが)。だから、なんとなくこのペアはバランスが取れていて収まりがいい。吉高由里子がグイグイ引っ張っていって、馬場ちゃんがそれをサポートするみたいな構図が眼に浮かぶ。思えば馬場ちゃんはロバートのコントにおいても秋山の右腕的存在を演じることが多い。今回のCMでは、さしずめ吉高由里子が秋山のポジションを担っているといったところか。吉高由里子もロバートのコントにおける秋山も変に明るいイメージがあるし。まあなんにせよ、馬場ちゃんには相棒役がよく似合うことに気づいた。コントでも「接しやす~い」と絶賛される役までやっているしね。ドラマ「相棒」の反町隆史の次は、ロバートの馬場ちゃんで決まりでしょう。いや、右京さんは吉高由里子や秋山とはタイプが違うから合わないか。いやいや、そもそも吉高由里子は別に秋山と同じタイプではないか。危ないところだった。

 

そして、馬場ちゃんの「踊ろう。」に対する吉高由里子の「うん。」という返事がいい。このキリッといている感じ。なんだか男らしくて、キュンとなってしまった。吉高由里子のことが好きなりそうだ。そしてこのCMで2人が歌う曲もいい。若大将、加山雄三の「君といつまでも」の替え歌。しあわせだなあ。加山雄三もとい弾厚作のメロディセンスにやられる。背景の影絵のような街の夜景もいい雰囲気だ。いやホンマにこのCMを手掛けた人のセンスが好きです。

 

それにしても冷静になったらハイボールがなんたるかをちゃんとわかっていないことに気づいた。ハイボールとはウィスキーのソーダ割のこと。飲み方のことなんやね。つまり角ハイボールはサントリーのウィスキー角瓶をソーダで割ったもの、トリスハイボールはトリスウィスキーをソーダで割ったものか。〇〇ハイボールの「〇〇」の部分にはウィスキーの銘柄が入ると。やべー、全然何も知らずに今までハイボールを飲んでいた。何も考えずに注文していた。なんとなくハイボールなるお酒があると思って頼んでいた。無知な自分が怖い。けれども別にお酒が好きではなく、なんとなくその場の雰囲気で適当に頼んできたから仕方がないか。モーマンタイ、モーマンタイ。今から覚えりゃいい。そして、「ハイボール」と検索すると「ハイボール まずい」が候補として出てくる。やっぱりハイボールの美味しさがよく分からん人もおるんや。かく言う自分もその一人だけれど。あんまり美味しくないよね。飲み方が悪いのかもしれないが、あそこから美味しくなるイメージが湧かない。CMを絶賛しておきながらハイボールは酷評するスタイルです。それとこれとは別。

 

そして加山雄三と言えば、こちらのCMでも彼の声を耳にする。

 


本田翼 「したい暮らし グッとくる景色」篇 15秒 LIFULL HOME'S (ライフルホームズ) CM

 

こっちは加山雄三の「お嫁においで」をトラックメーカーのPUNPEEがリミックスした曲だ。

 


お嫁においで 2015 / 加山雄三 feat. PUNPEE

 

加山雄三の曲、いいな。この曲でFNSの特番に加山雄三とPUNPEEの2人が出演した時は驚いた。いまやPUNPEEは色んなアーティストとコラボしたり、水曜日のダウンタウンの音楽を担当したり、ひっぱりだこですね。そしてもちろん、加山雄三も偉大だ。今でも色あせない数々の名曲。実際こうして加山雄三の曲がテレビから流れてきて耳にする。ちなみに加山雄三ってめちゃくちゃバイオハザードが好きやねんな。知らんかった。

 

やっぱり今の時代でもいいと思える曲を作ってきた加山雄三はすごい。アレンジやリミックスこそされてはいるが、原曲が良くなければこれほどいいものにはならないだろう。ウィスキーのトリスに並んで加山雄三の曲もクラシックだぜ。

 

空港って雰囲気が良くてなんだかワクワクする

本日、出張のため空港にて飛行機に乗った。空港の雰囲気はいい。いつもとは違うところへ行く、日常から離れるワクワク感がある。仕事の出張ですらちょっと楽しい。最寄りの一番大きい駅から空港へと向かう送迎バスが出ており、そのバスの中でbonobosの「Gospel In Terminal」を聴いて飛行機に乗る雰囲気を作っていった。

 


bonobos - Gospel In Terminal

 

この曲良すぎやしませんか。空港にて交差する光や様々な国の人々の魂、そして恋人たち。歌詞の「青空れ」とはどういう意味なんだろう。

 

空港とはやはりどこかへ旅立つ出発点であるから、別れをテーマにした曲に結びつきやすいのだろうか。上に挙げたbonobosの「Gospel In Terminal」のPVでは、空港を舞台として旅立つ恋人と残される恋人の関係が描かれている。小沢健二の名曲「ぼくらが旅に出る理由」においても、空港へと向かう恋人との別れが描写されている。

 


小沢健二 - ぼくらが旅に出る理由(Single Edit)

 

そして、「ぼくらが旅に出る理由」のサビの

 

遠くから届く宇宙の光 街中でつづいてく暮らし

 

の部分における、宇宙というマクロな世界と我々の暮らしというミクロな世界の対比。この対比によって、私たちの生活の一部も広大な宇宙の中で起きている出来事のひとつであると気づかされる。そして、ありふれた日常に対してどこか壮大で神秘的なイメージを抱かせてくれる。うーん、いい曲や。

 

安藤裕子による「ぼくらが旅に出る理由」のカバーも好きだ。

 

 

このカバーのドラムは、現東京スカパラダイスオーケストラのドラムであり、フィッシュマンズのドラムでもあった茂木欣一が叩いている。この曲のドラムに茂木欣一をキャスティングした理由に関しての考察が、これまた感動する。

 

butaganmen.net

 

果たして、この記事に書かれているような思惑を抱いて安藤裕子が茂木欣一をドラムにキャスティングしたのかどうか、実際には分からない。しかし、この考察が当たっているとすれば、「ぼくらが旅に出る理由」をカバーすることで、小沢健二が歌う原曲とは異なった意味の"別れ"を表現したことになる。恋人との別れだけではなく、死というより大きな別れを表現するに堪えうる強度をもった「ぼくらが旅に出る理由」という曲の素晴らしさを改めて感じる。

 

帰りの飛行機は夜の便であり、空港が近づいて飛行機の高度が落ちてきた際に見えた街の夜景がとても綺麗であった。確かに夜景を見ると妙な安心感を抱く。あれはなんでなんだろう。自分以外にも多くの人々が生活していることを客観的に確認できるからなんだろうか。それが確認できたからといって、なぜ安心感を抱くのかは分からないが。夜景に魅了される人は多いようで、夜景心理学なる、おそらく創作であろう学問について研究?されている方もいる。

 

www.superyakei.com

 

そして空港にて、紅いもタルトの袋をもった高校生の集団と遭遇した。おそらく修学旅行で沖縄に行っていたのだろう、顔も少し焼けていた。そんな高校生たちの姿を見て、『いいなあ、楽しそうだなあ。』と憧れの感情を抱いた。たまに、もう一生修学旅行に行くことはないんだと痛感するときがある。それは大人になった今では当たり前のことなんだけれども、あの、飛行機の中がほとんど自分の学校の生徒で埋められていて、みんなでお菓子を食べながら(個人的にトッポはマストアイテム)トランプをするといったことを、もう二度と体験できないと思うと改めて寂しい気持ちになる。ああ、空港で体育座りをしながら担任の先生に点呼を取られたい。先生の意外とダサい私服とかをもう一度見たい。夜にホテルの一室にみんなで集まって、先生にばれないように大きい荷物の方にいれて持ってきたゲームを取り出して盛り上がりたい。あの大勢感をもう一度味わいたい・・・。

 

話は戻るが、冒頭で紹介したbonobosの「Gospel In Terminal」が収録されているアルバム「FOLK CITY FOLK .ep」が素晴らしい。

 

FOLK CITY FOLK .ep

FOLK CITY FOLK .ep

 

 

特に「Gospel In Terminal」からの「In rainbow, I'm a rainbow too」の流れがいい。

 


bonobos / In rainbow, I'm a rainbow too【LIVE 2017】

 

そして「FOLK CITY FOLK .ep」のCDジャケットと今日自分が飛行機の窓から見下ろした街の夜景がとても似ていることに気づいた。このジャケットは飛行機から見える街の夜景だったのか。

 

ああ、なんにしても空港にて旅へといざなわれた気分になった。旅に出たいなあ。

自転車のタイヤの空気は意外と重要

わたしは通勤時に自転車を用いているのだが、最近は漕ぐのがしんどい。冬の自転車は嫌いだ。寒い。シンプルに寒い。そして風が強い。さらには、会社に行きたくないという憂鬱な気持ちがペダルを漕ぐ足を重くしている。心と体の関係はなんて密接なんだ。と思っていたところ、憂鬱な気持ちとペダルの重さの相関はなく、ただの勘違いでした。自転車のタイヤに空気を入れるとペダルを漕ぐ足は大変軽くなり、会社への通勤にかかる時間も4分ぐらい短くなりました。最近自転車を漕ぐのがしんどかったのは、単にタイヤの空気が抜けていただけでした。会社に対する憂鬱な気持ちなど全く関係ありませんでした。まさかタイヤの空気でここまで変わるとは・・・。心とは裏腹に、ペダルを漕ぐ足はひどく軽快である。会社に行きたくないよお。

 

それにしてもタイヤに空気を入れただけで変わりすぎではないでしょうか。そう思うほどに劇的に漕ぐのが軽くなった。なぜなんだろう。空気を入れることでタイヤのゴムに張りが出て、地面との設置面積が減少し、それに伴ってタイヤと地面の間で発生する摩擦が減少するからであろうか。

 

気になって色々調べていると、なんと自転車のタイヤには、適切な空気圧というものがあるようだ。知らなかった。

 

minivelo-road.jp

 

なんとタイヤの側面に適切な空気圧の表示が書いてあるんだね。教えてよ自転車屋さん。でも適切な空気圧を表示されても、その空気圧に調整する方法が分からない。そう思ったあなた、なんと空気圧計付きのポンプというものが世の中では売られているんですよ。教えてよ自転車屋さん。でもぶっちゃけ、そこまでして厳密にタイヤの空気圧を調整しようとは思わないのも事実。とりあえず、空気が抜けていたら、ちゃんと空気を入れるように心がけよう。そういうのが大事。それが一番大事。ちなみに、タイヤに空気を入れるとスピードが上がるのは、タイヤが硬くなってより転がるようになるかららしい。納得できるような、あんまりピンとこないような。変形によってエネルギーが消費されないってことかね?

 

ただ今回、タイヤに空気を入れる際に、キャップの部分をひねると、おそらく雨風の影響でキャップが劣化しており割れてしまった。これではキャップがない状態で自転車に乗ることになり、空気が漏れてきたりしないんだろうかと不安になった。そこでまたまた調べてみると、自転車のタイヤの空気は、キャップがなくても漏れることはないらしい。

 

bicycle-post.jp

 

ひと安心しました。ただ、キャップがないとタイヤの空気入れの部分において弁の役割をしている「虫ゴム」と呼ばれる部分が、これまた雨風で劣化して割れてしまうらしい。そうなるとタイヤから空気が漏れることにつながるんだとか。キャップって大事だね。でもちょっと待ってくれ。雨風に弱い「虫ゴム」を守るためのキャップがこれまた雨風に弱いって、どうなってんねん。意味ないやん。そこはキャップの部分を雨風に強くしとかなアカンやろ。パッサパサのボッロボロになっとったぞ。四天王のうちの2人がタイプ被ってたら意味ないのと一緒やで。そこはバラバラにせんと。頼みますよホント。

 

話は変わり、大学生のころは電車で通学していたのだけれど、なんだかんだで自転車のほうが楽ですね。

 

www.gissha.com

 

自転車で通える時点で、家から通う先が近いっていうのはあるけれど。高校時代は自転車で通学していたから、会社員になって自転車で通勤しだしたころは、なんだか昔に戻ったようで懐かしい気持ちになった。ただ、高校のときに思っていたのは、なぜ行きも帰りも向かい風なんだということだ。どっちかはせめて追い風であってくれ。いや、行きの方が遅刻のリスクがあるから、行き追い風で。昼と夜とでは風の吹く方向が逆になるとはよく聞く。大陸と海とでは、大陸の方が熱が伝わりやすく、海の方が熱が伝わりにくいために、昼夜で気圧が高い部分と低い部分が逆転して風向きが変わるからだ。ただ、理屈はどうでもいいからそんなことはやめてほしい。こっちは感情で動いている。わたしが常に向かい風の中で自転車を漕いでいるのとは反対に、常に追い風を受けて自転車を漕いでいる人がいるという事実が恨めしい。思い出はいつの日も向かい風。

 

自転車つながりで、わたしはスピッツの「自転車」という曲が好きだ。

 

 

スーベニア

スーベニア

 

 

曲の入りがいい。あのボサノヴァ調の陽気な感じ。そして力の抜けた歌詞。アルバム内での「恋のはじまり」からの流れもいい。自転車をテーマにした曲ってテンポが良くて明るく元気が出る曲が結構多い。軽快にペダルを漕いで走るイメージ。ところがこのスピッツの「自転車」は、ユラユラゆっくり蛇行しながら進んでいくような感じだ。ゆっくりダラダラとペダルを漕ぐような。そして、そこがいいんよなあ。流石草野マサムネって思う。なんか漕ぐのしんどいなあ、ダラダラ漕いで家に帰ればいいかっていう日もある。そんなテンションの日もあるってことを、ちゃんと意識しながら生きているのがいい。そして、草野マサムネが作詞作曲したPUFFYの「恋のエチュード」にも最近ハマっている。

 

 

恋に落ちたときの表現として

 

よくある話と笑い飛ばせたなら これほど夕陽に溶けたりしない

 

って良すぎるやろ。これほど夕日に溶けたりしないという自己陶酔感。自分をドラマの主人公と思っているような。恋をしている自分に酔ってしまうことってある。恥ずかしいけれど。草野マサムネ師匠に、一生ついて行きたい所存。

 

冒頭で冬の自転車は寒くていやだと書いたけれど、最近は少しずつ暖かくなってきたように感じる。夕方5時ぐらいでも空は明るく、ゆっくりと春が近づいてきた。春が来たら、少しは憂鬱な気分が晴れるでしょうか。

 

 

ニューヨークヤンキースの意味は、ニューヨークの不良たちではない

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ヤンキーは怖い。そんなヤンキーたちの集まり、ニューヨークヤンキースはもっと怖い。そう思っていた時期がわたしにもありました。だって、New YorkのYankeesやからね。

 

日本で使うヤンキーとアメリカで使うヤンキーは意味が異なるそうな。

 

・日本

 不良のこと

 

・アメリカ

 アメリカ北東部、特にニューイングランド地域に住む人のこと

 

・アメリカ以外の国

 アメリカ人全体を指して使われる

 

日本のヤンキーはただの不良という意味だが、アメリカのYankeeという言葉はそう単純ではなく、地域によって意味が変わってくるようだ。アメリカ以外の国では、Yankeeはアメリカ人全体を指して使われる。しかし南アメリカの地域では、 "Yankee"はアメリカ北東部、特にニューイングランド地域のものを指して使われるようだ。アメリカ北部と南部では奴隷制などで対立していたし、歴史的に何かあるのだろう。

 

語源としては諸説あるようだが、いずれにせよオランダ語と関係している。ひとつは、オランダではJanとKeesという名前がよく使われており、その2つをくっつけてJankeesになり、オランダ語のJは英語のYと同じ発音であることからYankeesになったという説。もうひとつは、これまたよく似ているが、オランダでは女性の名にJanneke、男性の名にJankeというものがよく使われており、これをもじってYankeeになったという説。最初は、オランダ人を指す言葉としてYankeeは使われていたが、植民地時代にオランダ語を話すアメリカ人のニックネームとしても使われ始め、次第にオランダ人以外の植民者も含めて使われるようになったと言われている。

 

へぇ~。ニューヨークヤンキースってとんでもない名前やなって思っていたけれど、日本とアメリカでは意味が違うんやな。そりゃそうか。ニューヨークヤンキースは、ニューヨークの不良たちという意味ではない。なんとなくニューヨークって治安が悪いというイメージがあったから、それとシンクロしてヤンキー多そうと思えなくもない。でも冷静になったら、そんな野蛮なチーム名付けませんわな。もしそうやったとしたら、めっちゃ強そうやけども。もうほぼほぼルーキーズ状態。ニューヨークヤンキース=二子玉川学園高校。代打させられそうになったら、大声を出して嫌がるやつがおるチーム。

 

そして、改めて思うけれど松井秀喜はすごいよね。伝統あるヤンキースで4番打者を務め、ワールドシリーズではMVPを獲得するなんて。凄すぎる。ゴイゴイスー通り越してスーススー。この前ケーブルテレビで、松井のヤンキースでの歩みみたいなダイジェスト番組をやっていたけれど、ものすごく感動した。

 

アメリカには一回も行ったことがないから、おそらく自分はアメリカに対して偏見だらけであろう。実際にアメリカに行くと、印象と違うということになりそう。近藤聡乃の「ニューヨークで考え中」を読んでいると、割とニューヨークも平和そう。

 

www.akishobo.com

 

確か、近藤さんが「ニューヨークの治安は全然悪くない」みたいなことを発言して、親か友達に「でもあなた夜に外を出歩かないし、割とインドア派やん。」的なことを言われて、そりゃ危ない目に合わんし治安が悪くないと感じるかと納得したというオチの話があった気がする。全然関西弁じゃなかったけど。わたしもインドア派なんでニューヨークでも大丈夫そうです。でも無性に夜に散歩したくなる時はある。音楽を聴きながら歩きたくなる時がある。夜に散歩する用のプレイリストとかを作ったりする。青春時代を回顧するような曲を聴くと、なんかいい雰囲気に浸れる。

 


The SALOVERS - Disaster of Youth

 

そういうときは、ちょっと自分に酔っている。なんか恥ずかしいけど楽しい。

 

それにしても、近藤聡乃の字が好きだ。フォント「近藤体」なるものを作ってほしいほど。見ていてなんだか癒される。絵が上手くてかわいいのはもちろんのこと、字まで魅力的とは。そして「ニューヨークで考え中」は隔週で更新されていて無料で読めるけれど、小出しで読んでいくともったいない気がして、単行本になるまで我慢している。

 

ニューヨークで考え中(2)

ニューヨークで考え中(2)

 

 

単行本を買って、夜にリラックスしながらゆっくり読みたい。読んでたらすごい落ち着くんよな。そして、平方イコルスンの「スペシャル」も同様に、最新話とそのもう少し前の話は無料で読めるけれど、単行本になるまで我慢する。

 

to-ti.in

 

スペシャル 2 (torch comics)

スペシャル 2 (torch comics)

 

 

そして最近、近藤聡乃の「不思議というには地味な話」が新版となって手に入るようになったようだ。

 

新版 近藤聡乃エッセイ集 不思議というには地味な話

新版 近藤聡乃エッセイ集 不思議というには地味な話

 

 

ついでに「いつものはなし」のほうも新版で出してくれませぬか、近藤さん。読みたいです、近藤さん。