牛車で往く

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ファミレスのボックスシートで過ごす夜

夜にはだいたい部屋に適当な音楽を流しながら過ごしているんだけれど、そんな風にしながら本を読んでいると曲の歌詞のほうに意識が引っ張られて読むのに集中できないときがあって、なんだかメロディに言葉があるのは鬱陶しいなと感じることがある。ってことで最近はVIDEOTAPEMUSICの「世界各国の夜」をヘビーリピートしている。

 

世界各国の夜

世界各国の夜

  • アーティスト:VIDEOTAPEMUSIC
  • 発売日: 2015/09/30
  • メディア: CD
 

 

 

ピアニカでもこんなにいい曲が作れるんだねと思うのは、おこがましくも自分の小学生時代の稚拙な演奏と比べてしまうからだ。小学生のころなんて音楽によって再現したい空気感みたいなものは、その人生経験の少なさからあいにく持ち合わせてはおらず、音楽の授業で行う楽器の演奏は楽しいからではなく、ただただ授業だから仕方なくといった感じであった。リコーダーもそう。音楽会で叩いた大太鼓だけは楽しかったが、あれは音楽を演奏するのが楽しかったわけではなく、目立てることが嬉しくてはしゃいでいただけだった。

 

このアルバムの中でも特に好きな曲が「Royal Host(Boxseat)」。

 

 

まず、わざわざタイトルに(Boxseat)と入っているのがいい。そう、金曜日の夜に友達とダラダラしゃべりながら過ごすファミレスでのボックスシートはめちゃくちゃ楽しいんです(なんとなく曲の雰囲気からは、深夜ひとりのファミレスでのボックスシートのような感じもするが)。大学生のころのわたしたちは、ドリンクバーとカレーのお替りし放題さえあれば良く、そんなにお酒を飲めない集団であったのも手伝って、ファミレスの中でもちょっとお高いロイヤルホストには全くいかなかったが、金曜日の夜には居酒屋ではなくファミレスにやたらと行っていた。とりあえずステーキやらハンバーグやらと一緒にドリンクバーを注文して、今度の休みはどこに旅行に行こうだとか、最近の長澤まさみはなんか可愛いだとか、ハンターハンターまた連載再開するなだとか、そんな話をひたすらしていた。3時間ぐらいは余裕で居座っていて、お店を出るまでにトイレに2回は行っていた気がする。途中で一度お腹が空いてカレーのお替りだってしていた。この曲を聴くとそのタイトルとメロディからそんなことを思い出してしまう。ていうか今でもたまにそんな風にして夜を過ごしますけど。

 

そしてファミレスで過ごす夜は、お店を出てから駅まで歩く道中もいいのだ。「そろそろ行こか」とお店をあとにしたはいいが、やっぱりもうちょっとしゃべりたくて、だいたいいつもファミレスの最寄り駅では電車に乗らずにひと駅余分にしゃべりながら歩いた。春でも夏でも秋でも冬でも季節に関係なく、夜の空気はなんであんなに澄んでいるような気がするのか分からない。みんなでしゃべりながら歩いていると、時折、背後から迫ってくる車の気配をヘッドライトの光で察知する。気配に気づいてから車がわたしたちを追い越すまでの間、後ろを振り返って車の存在を確認するのだが、その際に見える景色からはいつも、さっきまでわたしたちが前を向いて歩いてきた道であるはずなのに、同じ道とは思えない不思議さを感じる。駅に着くと、わたしが乗る電車とは反対方向に向かう電車に乗る友人がだいたいひとりはいて、そんな友人の姿が向かいのホームに確認できる。そうすると『コイツはひと駅分、わざわざ遠くなるのに一緒に歩いてくれてんな』と思い、なんだかニヤニヤしそうになる。こっちのホームが二人以上のときにはしつこく手を振ったりしたものだった(自分ひとりのときにはほとんどそんなことはしない)。

 

こんな風に「世界各国の夜」と銘打たれているにもかかわらず、わたしが感動するのはやっぱりめちゃくちゃ日本が舞台の曲になってしまう。とはいえ「Speak Low」も「Hong Kong Night View」も「August Mood」も「チャイナブルー新館」もいい曲。全部いい曲過ぎて、本を読むときに歌詞があると集中できないからとこのアルバムを選んだはずであるのに、頭の後ろに手を組んで寝っ転がっては天井を見ながら『いい曲やわ~』と、結局本を読まずに聴き入ってしまうのであった(「Hong Kong Night View」は普通に歌入ってるし)。

 


VIDEOTAPEMUSIC / ''Hong Kong Night View feat 山田参助(泊)''

 

オリエンタルな風を都合よく身にまとう

ゴールデンウィーク初日、まるでこちらが外出を自粛しているのを知っていて、意地悪でわざとそうしているかのように晴れ渡った天気。気温も初夏のように暖かい。っていうかちょっと暑い。いま外に出れたら最高だろうなあと思わざるをえないほどである。そんなことを思いながら家でTwitterを見ていると、The Strokesの公式アカウントがある動画をアップしていた。

 

 

メンバーの5人がオンラインチャットで色々なバンドについておしゃべりする内容のものなのだが、この動画のオープニングで佐藤博の「Say Goodbye」が流れてきた。

 

 

竹内まりやの「Plastic Love」を筆頭に、日本のシティポップが海外で流行しているとは本当だったのかと、こんなところでも実感させられる。動画の中身は英語で何をしゃべっているのか全く分かりませんでした。翻訳こんにゃくくだせえ。佐藤博のシンセ感はジュリアンの好みっぽいななんてことを勝手に想像する。ということですぐに影響を受けて佐藤博のawakeningを聴く。

 

アウェイクニング

アウェイクニング

  • アーティスト:佐藤博
  • 発売日: 2005/09/21
  • メディア: CD
 

 

個人的には5曲目のゆったり落ち着いたリゾートミュージックのような「Love and Peace」が好き。

 

 

awakeningを聴いていたら、別のアルバム、Orientに収録されている「ピクニック」も聴きたくなり聴く。流石はOrientというタイトルのアルバムに収録されているだけあって、まじオリエンタルって感じがいいです。ピクニック行けへんけどもよ。今は何をしていてもすぐに自粛の方向に想いが逸れてしまうのは仕方がないことでしょうか。ときに、オリエントとは東洋を意味する言葉であるのだが、東洋がどの辺りを指すのかは個人的に漠然としている。さっきは「まじオリエンタルって感じがいいです」なんてことを言っておきながら・・・。なんとなく真っ先に中国が思いつくのだが、他の人たちはどの地域のことを思い浮かべるのだろうか。例えば、アメリカの人たちはオリエントと聞いて、中国だけでなく日本のことなども思い浮かべるのだろうか。なんなら、佐藤博のこのOrientは、日本のことも含めた意味での東洋なのか。なんとなく日本人の使う東洋には、日本のことは含まれていない気がする。なんてことを考えていると、この小論を見つけた。

 

orient、東洋(とうよう)と東方(ドンファン)― orientという語の訳語から日中両国の自己のあり方を探る ―

 

日本、中国のそれぞれの歴史の中における東洋の位置づけに関して書かれたこの小論を読むと、欧米諸国は東洋のことを、中国を中心とするアジアとして捉えていたことが窺える。日本はその時々で、東洋という言葉が意味する地域を都合よく使い分けていたようだ。哲学などの分野で研究に先行する西洋に対抗する際には、自国のことを東洋に所属する国のひとつであるとする一方で、歴史の面では、日本は中国などその他の国とは独立した歴史をもつ国として、自らを東洋から除外していた。これらのような東洋に対してどっちつかずの状態は、自らを大きく見せて西洋に対抗するためにあえて所属したり、自らはアジア諸国と同様ではなくより優れた国家であるとみせるためにあえて所属しなかったりといった背景に由来するのだが、道理でこのせいでオリエント、つまりは東洋が何を指すのかが曖昧でピンと来ないわけだと納得できた。「ウチらって、付き合ってんの?」と東洋に聞かれたとき、果たしていまの日本はなんと答えるのだろうか・・・。

 

話は佐藤博に戻るが、佐藤博の歌声ってXTCのボーカルのものと似てませんか?awakeningに収録されている「From Me to You」とかすごく似ている気がする。

 

 

 

XTCのアルバム「Oranges & Lemons」は4曲目までの流れが最高だけど、いつもそこでお腹いっぱいになってしまいます。

 

ORANGES & LEMONS

ORANGES & LEMONS

  • アーティスト:XTC
  • 発売日: 2017/05/05
  • メディア: CD
 

 

最近はずっと家にいるから、音楽をよく聴くのだが、Sodapopなる人にハマっている。SoundCloudで適当に曲を流していたら耳に入ってきてビビッときた。調べてみると、ネットレーベルのAno(t)rackからいくつか曲が発表されていた。

 

 

めちゃくちゃ爽やかでいい曲。そしてビーチテニスなる競技があることを知る。ビーチでテニスってボール跳ねるんかいな?この曲が収録されているコンピレーションアルバム「Light Wave '14 (vol​.​2)」はbandcampに転がっており、インディーズのシティポップを発掘することがコンセプトとなっているアルバムのようで、詳しくは下のブログにまとめられている。

 

simonsaxon.com

 

他にも、おおのゆりこという方とfeat.した「機械だらけの街」もいい。

 

 

直近のリリースはSoundCloudに1年前に上げられたデモ音源となっており、アルバムやEPなどはリリースされていなかった。気が向いたらでいいんでフルアルバムを作ってほしい。聴きたいです。Ano(t)rackから曲をリリースしているSodapop以外のアーティストを見てみると、Momやシンリズム、The Paellasなどの名があり、渋いなあと思った。

  

ほんでもってbandcampに関してなのだが、Teen Runningsのカネコ、いやTeen Runningsがカネコなのだが、カネコさんが以下の内容のツイートをしていた。

 

 

どうせならアーティスト的にはbandcampではなくサブスクで聴いて欲しいとのこと。サブスクで聴いた場合には、どれくらいの再生回数でアルバム1枚の売り上げと同じくらい稼げるようになるのかも気になるところ。SoundCloudでは、プレミア会員になると収益化できるようになったり、外部ストリーミングサービスと提携できたりするサービスがあるが、使い勝手はどんな感じなんだろうか。

 

block.fm

 

消費する側のこっちとしては、好きなアーティストには可能な限りお金が入る仕組みで音楽を聴きたいとも思うが、人それぞれ音楽以外にも優先順位があるのも事実としてある。昨今は活字離れの影響を受けて本屋が閉店するなんていうニュースをよく見るが、そもそも本にお金をかけられる余裕がなくなったとの考え方もあるし、どこにどれだけお金をかけられるのかを取捨選択しなければならない状況の人もいるだろう。

 

 

すべての産業に対してお金を落とす余裕なんてないかもしれないが、先ほども書いたように自分の好きな人たちが活動を続けられるように、できる限りは受けたものに対してお金を返すようにしなければと思う。芸術がなくなった世界がどんなものになるのかといった片鱗は、皮肉にもこのコロナ禍の状況下で擬似的に体験できてしまっているのではないだろうか。

 

Teen Runningsのアルバムは、1stのLet’s Get Together Againと2ndのNOWをもっていて、そのどちらも暑くなってきたこれからの季節がよく似合う。

 

 

 

1stは「My Beautiful Anna」から「Cruel Sea」までの後半4曲の流れが好きです。2ndは全体的に明るくて、こちらは前半4曲の流れ、その中でも「High School Love」がめちゃくちゃ爽やかで最高。

 

 

「High School Love」ってタイトルがもうね、すごいよね。タイトルをダサい和訳にするような野暮なことはしないが、もう絶対青春やんって感じのタイトル。で、その通りめちゃくちゃキャッチ―でキラキラした楽曲。最後の曲「Don't Take Me Down」もいい。Teen Runningsは全くオリエントな感じではなく、アメリカって感じですごいポップ。The 西海岸。沖縄旅行で聴いたときはもう全然合わなかった。Teen Runningsとマングローブは合わない。沖縄は夏川りみがドンピシャ。湘南乃風を夏の図書館で聴くのが合わないのと同じように、タイプが違う夏。いや、それよりはマシか・・・。こんなことを書いたけれどTeen Runningsめっちゃ好きですよ。

 

 

在宅勤務のいいところはすぐにトイレに行けるところ

全国に緊急事態宣言が発令されてから、一週間のうちの何日かは在宅勤務をするようになった。在宅勤務のいいところは、なんと言ってもギリのギリまで寝ていられるところと、お腹が痛くなってもすぐにトイレに駆け込めるところだ。一度、在宅勤務中に腹痛に襲われ、すぐにトイレに行った際に抱いた謎の勝った感はすごかった。お腹が痛いのに『こんなん無敵やん』と思いながら気張りました。会社でもこうありたいので、本気でどこでもドアがほしくなりました。その他にも在宅勤務のいいところとして、ラジオや音楽を流しながら仕事ができるといったものがある。頭を使って考える必要のある作業中にはなにも流さないが、単に手を動かすだけの作業のときにはなにか聴きたくなる。確か、高校のころに使っていた英単語帳の速読英単語に、BGMは作業効率を向上させるみたいなことが書かれていた気もするし、ガンガン流していこうといった所存。

 

速読英単語1必修編[改訂第6版] (Z会文章の中で覚える大学受験英単語シリーズ)

速読英単語1必修編[改訂第6版] (Z会文章の中で覚える大学受験英単語シリーズ)

  • 作者:風早寛
  • 発売日: 2013/12/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

速読英単語には他にも、空気が綺麗な家庭環境で育つよりは、兄弟姉妹がいたり犬や猫を飼ったりしている空気の汚い家庭環境で育った方が、相対的に免疫力が強くなるみたいなことも書かれていた気がする。振り返ってみると、結構ためになる雑学的エピソードが多かった気がするが、あのころはそれに対する面白さなんて全く感じていなくて、英単語を覚えるのはただただ苦痛でしかなかった。まあそんなことは置いておいて、在宅勤務中によく聴いているアルバムはこの2つ。

 

MUSIC FROM BIG PINK

MUSIC FROM BIG PINK

  • アーティスト:The Band
  • 発売日: 2001/08/27
  • メディア: CD
 

 

 

わたしの音楽再生ソフトではアルバム名のアルファベット順的に、The Bandの「Music from Big Pink」の次にVulfpeckの「My First Car」が来るようになっている。特に選曲などせず適当に音楽をかけていたときに流れてきたこの2枚のアルバムのつながりが妙にしっくり来て、それ以来やたらとこの2枚を連続で聴くようになってしまった。さらには、Vulfpeckのアルバム「My First Car」の一曲目「Wait for the Moment」の中にあるベースソロ前の「Bassmen!」という掛け声を聴き、andymoriの「ベースマン」が聴きたくなったりした。

 


3rd LIVE DVD「FUN!FUN!FUN!」より『ベースマン』

 

いま思えば全く作業に集中できていない。音楽以外のラジオ、というかインターネットラジオではこれをよく聴いている。

 

hokuohkurashi.com

 

「チャポンと行こう!」通称"チャポ行こ!"は、北欧、暮らしの道具店というお店の店長さんである佐藤さんとスタッフの青木さんによるインターネットラジオなのだが、このお二方の声がなんだか心地いいのだ。佐藤さんと青木さんは女性だから、話すエピソードの中には男性のわたしにはあまり馴染みのないものがたまにあるのだが、それでもなんだか聴いてしまうのだ。笑い声とかもなんだかちょうどいいのだ。聴いていると落ち着くのだ。なんかガッシュみたいになってしまった。

 

まあ、そんな風にして在宅勤務をこなしている。そんな中、レインボーのこの動画を見てめちゃくちゃ笑ってしまった。

 


【リモートコント】リモート会議終わったと思ってはしゃいだ結果、クビになった男

 

もうこのね、なんでそんなにリモート会議終わってちゃんとカメラを切れへんねんって思うくらい、何度もカメラをつけっぱなしではしゃぐのが面白い。『これ・・・切れてるよな・・・?』みたいな顔が画面に映るのが最高。13:55くらいからの流れも最高。池田演じる部下の「切れて・・・ますねっ・・・」からのジャンボ扮する上司の「ヤバい、最終確認が終わった」、そっからの完全にカメラが切れたと勘違いした池田の舌を出した悪い顔がジャンボの画面に映し出されるといった流れ、何回見ても笑える。もうこの悪い顔大好き。このはしゃぐ気持ちも分かる。なんなんやろな、あの、部活の顧問とか職場の上司がどっかいった後すぐに変な顔をしたくなる感情。もうこのネタ最高。自分は在宅勤務中にリモート会議をすることはないから、このネタみたいになる危険性もないし安心して笑える。てか、ホンマになんでそんなにカメラ切れへんねん。

 

話は変わって、最近、前田司郎の「愛でもない青春でもない旅立たない」を読み返した。

 

愛でもない青春でもない旅立たない (講談社文庫)

愛でもない青春でもない旅立たない (講談社文庫)

  • 作者:前田 司郎
  • 発売日: 2009/10/15
  • メディア: 文庫
 

 

なんか変な話だった気がすると思いながら読み返したところ、やっぱり変な話であった。そして、主人公とその友人の山本が大学の部室棟の階段に座る場面を読んで、自分の高校時代の部活のことを思い出した。いや、正確には思い出そうとしたが思い出せなかった。

 

二人並んで座るとこの狭い階段は人が通れなくなる。それに気付いた山本は、僕の前の段にお尻をずらした。手すりから足を出して、僕らはグラウンドを見下ろす格好になる。グラウンドの向こうを小田急線が通る。

 

手すりの縦棒はちょうど僕の顔の幅くらいで、顔を突っ込んでみたい欲望に駆られるが、取れなくなっちゃったら大変なので、僕は両手を柵にそえその間に顔を置いた。山本は柵の一本に寄りかかっている。

 

自分が高校生のころ、部室棟はグラウンドの練習場所から遠かったため、より練習場所に近い校舎の端に備えられている非常階段の踊り場で部活の着替えをしていた。その非常階段のスペースはそれほど広くなかったため、最上級生にならなければ1階のスペースを使って着替えることはできず、1年生の間と3年生が抜けるまでの2年生の間は、わざわざ階段を上って2階以上のスペースで着替えなければならなかった。下級生でも最上級生に気に入られているごく少数の者だけは、1階のスペースで着替えることが許されていた。わたしは1階での着替えが許されるような後輩ではなかった。部活の着替えはこんな感じだったはずなのだが、2階以上のスペースで着替えていたころの記憶が全く思い出せない。最上級生になり、1階で着替えていたころのことはいくつか思い出せるのだが、2階以上のスペースで着替えていたころのことは全く記憶に残っていない。そして、この非常階段には小説の描写のように柵と手すりが付いていたはずなのだが、もちろんそれもどんなものだったのかは思い出せない。手すりの塗装は白色だった気がするが自信はない。塗装は所々剥げていて下から錆びた部分が見えていたかどうかも分からない。足が出せるくらい柵の間隔は開いていただろうか。顧問の先生の名前が、寺島ではなく寺嶋であったことは覚えている。そう思うと、自分の記憶を頼りにして風景を詳細に描写するのはめちゃくちゃ難しいことだと感じる。そんなことを考えていると、漫画「ものするひと」で小説を初めて書いてみた大学生のマルヒラくんが

 

突飛なことじゃなくてさ

普段 わざわざ人に言わないけど

なんか考えちゃうこととか 微妙な感覚とか妄想とか

そういうのを 丁寧に詳細に 書けるのって

やっぱりすごく・・・・・・すごいんだよ

 

と言っていたセリフをふと思い出した。

 

ものするひと 2 (ビームコミックス)

ものするひと 2 (ビームコミックス)

 

 

自分の見たもの、考えたもの、感じたものを文字として出力する際に、自分はそれらの純度をどれだけ落とさずに出力できているんだろうか。おそらくかなり低い気がする。目の前の風景を描写することすらひどく難しいことであるのに、ましてや記憶を頼りに書くなんて。それでも、自分の書いた日記を読み返したときに、『ああ、そうやった、そうやった』と思えることはある。ただ、それを読んだ自分以外の人が、自分と同じ感情や空気感を得られるのかは分からないが。自分自身が一度身をもって体験し分かっていることを、体験していない人たちに伝えるのって、別にこれは小説や日記のような書くものだけではなく、仕事や勉強、スポーツなどでも難しいことだよなと思う。そう考えると、日常的に行われる他人とのコミュニケーションという行為も結構難しいことのように思えてきて、教え方の上手な先生や上司のことはやっぱり尊敬すべき存在だなと感じる。とか思いながらも、日記かどは自分さえ分かりゃあいいみたいな部分も少なからずあって、他人への情報の伝達が目的の100%ではないところもある。とはいえ読んでもらえたら嬉しいんですけども。それに、なんでもかんでも伝わりやすいことが正義みたいな世界観が気に入らない日もあるし。さらには、見たもの、感じたものを丁寧に描くことと、伝わりやすいことがイコールとも思えない。自分の伝えたいことを正確に表現するためには、難解な言葉を使わなければならないことだってあるだろうよ。なんてことを考えていたら、ナンバーガールの向井秀徳が恥とは分かっときながらも自己を顕示して、自分が作った作品を他人と共有して脳内ビリビリしたいみたいなことを言っていて、それを読んでグッときたことを思い出した。あの文章、めちゃくちゃカッコよくて感動したな。向井秀徳が人の心を惹きつける片鱗を見た気がする。とは言いながらも、ナンバーガールは全然聴かんけどね。なんだか話があっちこっちに行ってしまったので、急に終わります。

コロナ禍と持て余したワンダーラスト

相変わらず続くコロナ禍。初めてコロナ禍という言葉を見たとき、読み方が「コロナか」と分からなかった。読み方を調べると「コロナ禍の読み方とは?」みたいな、答えをスッと書かないページばかりが検索上位に来ていてイラッとした。「みなさんはコロナ禍をなんと読むか分かりますか?」って、いや分からんから調べてんねん。この最初の問いかけいらんから。スッと言うて。まあそんなことは置いておいて、日に日にコロナウイルスの感染者は増えていくし、緊急事態宣言はついに日本全国が対象となり、会社でもテレワークの動きが本格的になってきた。でも、そんな世間のコロナパニックとは裏腹に、春が訪れて空気はずいぶん穏やかだ。多分、そんなふうに感じているのはわたしだけではなくて、その証拠に朝の通勤時の河川敷には日に日に人が増えてきている気がする。上はウィンドブレイカー、下は半ズボンの姿でランニングをしている大学生や、一緒にサイクリングをしているお父さんとお姉ちゃんと弟、ベンチに座ってただただ川を眺めているおじいちゃんなどなど。確かにコートを着なくても十分暖かく過ごしやすい日がだんだんと増えてきた。さらには、河川敷には生命力が満ち溢れている。綺麗な黄色をした菜の花が群生しており、つい最近まで薄紅色の花を咲かせていた桜の木は、わずかに残った花の下から重なるようにして緑の葉が生え始め、葉桜に変わろうとしている。

 

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河川敷を満たす春の陽気に誘われて、みんな外に出てきたくなってしまっている。それに世の中では三密を避けろ、三密は感染のリスクが高い、なんてことが声高に叫ばれているもんだから、いっそのこと外なら換気もクソもないし、それほど混雑しているところじゃなければ三密なんていう状況にはならないしと思う部分もあるのだろう。実際、コロナウイルスの空気感染は2020年4月18日の現時点では確認されておらず、飛沫感染と接触感染が主な感染の原因とされている。マスクを付けて知らない人が触れたものに触ろうとしなければ、外に出ても感染のリスクはかなり下げられるのかもしれない。そんな春の穏やかな河川敷の風景を見ていると、世間でのコロナウイルスによる騒動がどうも現実感をもって迫ってこない部分がある。

 

こうも外出を自粛するように言われると、家にいなければいけないと思いつつも、逆に外に出たくなる気持ちは分かる。お風呂に入ろうとしたときに、母親に「アンタ、はよお風呂入ってまいや」と言われたときと似たような気持ち。分かってんねん。こっちのタイミングで入るから。言われたら逆に入る気なくなるから。これぞ、心理的リアクタンス理論なり。とはいえ、これは自分でしようとしたことを他人からしろと言われた場合に起きる現象。いま自粛しようとしているのは、先に自粛するように言われたからであり、順序がお風呂の場合とは逆だから厳密には違うのか。いま外に出たいのはさっきも書いたけど、単に春の陽気のせい。

 

英語に「wanderlust」という単語がある。読み方はワンダーラスト。わたしはコロナ禍の検索上位ページとは違って、読み方はスッと言います。意味は「旅行癖、放浪癖」。wanderは、動詞として「さまよう、放浪する」、名詞として「ぶらつくこと、散歩」を意味する。lustは、動詞として「渇望する」、名詞として「強い欲望」という意味。2つを合わせてwanderlust。こんな世の状況下だからこそ分かったことだが、どうやらわたしにもワンダーラストなるものが備わっていたらしい。いや、もしかしたらワンダーラストは、人間だれしもがもっているものなのかもしれない。放浪したいという気持ち。行く当てのないワンダーラストはどこにぶつければいい。旅に出る行為は非日常なことだと思っていたけれど、こんな状況になってしまえば、旅に出られる環境が整っていることそれ自体は日常だったんだなと思う。



【歌詞つき】ワンダーラスト(live ver)/ FoZZtone【official】

 

 

FoZZtoneの「ワンダーラスト」にある

 

暖かくなり始めた 飽和してゆく闇に

浮かんでる 街路樹の緑

 

という歌詞のように、夜が満ちていくのとともにそこに紛れ込んでくる春の空気の気配が、日に日に大きくなっているような気がする。たとえ外に出なくとも、窓を開ければぬるい空気が部屋の中に入り込み、大きく息を吸うと春の匂いに肺が満たされたような気分になる。

 

57577.hatenadiary.com

 

我妻俊樹は、旅情は旅に出たときだけではなく、日常においてふと匂い立つこともあると言っている。そして旅情が感じられるのは、距離感の失調がきっかけとなるのではないかと言う。今や旅に出られないのはおろか、コロナ以前のような日常生活すら送れなくなってしまった。しかし、窓から入ってくる春の空気は、大学生の春に行った旅行先での友人たちとの夜の散歩をわたしに思い出させ、それと同時に旅情を喚起させる。そして、旅情を感じるためには、別に旅の思い出ばかりが思い出される必要はない。在宅勤務中に見る平日お昼のテレビ番組からは、中学時代のテスト期間にいつもよりも早く家に帰ってきたことが思い出され、その瞬間に生まれる今現在の自分とその当時の自分との距離感から、旅情が感じられるかもしれない。たとえ旅に出られなくとも、我妻俊樹の言うような"瞬間の旅情"はこんな日々でもふと顔を出してくれる。

 

FoZZtoneのこの曲は当時、公式海賊版なるCDとして500円で販売され、わたしはそれをタワーレコードで購入した。CDにはセルフライナーノーツが付いていたのだが、それがどんな内容だったのか今は忘れてしまった。読み返したいなと思いながらも、CDは実家にあるからすぐには読み返せない。なんならこんな状況だからゴールデンウィークに実家に帰ることもできないだろう。まあしょうがない。そんなふうにして、コロナ禍と持て余したワンダーラストをどうにかやり過ごすしかない。

 

おれの人生の延長線上にいる富樫勇樹を見に行くのだ(アナログフィッシュ「Iwashi」)

先日、大阪エヴェッサvs千葉ジェッツのバスケの試合を観に行った。千葉ジェッツには彼がいる。そう元NBA契約選手、富樫勇樹が。富樫勇樹を見てみたい、友人と話しているときにそんな話題になり、じゃあ大阪エヴェッサとの試合があるときに見に行こうとなったのだ。

 

試合は15:00から。『富樫のプレーが見れるのか・・・。』とワクワクしながら、会場のおおきにアリーナ舞洲へと向かう。行きの電車の中で村上龍の「空港にて」を読む。

 

空港にて (文春文庫)

空港にて (文春文庫)

  • 作者:村上 龍
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/05/10
  • メディア: 文庫
 

 

一人称視点であるはずなのに、まるで三人称視点のように感じられる感情を排除した冷めた文体。日常生活において、我々の身にまとわりつく何とも言えない息苦しさ。人生に生きづらさを感じる、そんなときにわたしは、自分の頭の中だけで色んなことをグルグルグルグル考えてしまっている。『あのとき、あの人との会話でこういう風に答えていれば、いまとは違う関係になっていたのか?』『この人は果たして、わたしと同じように人生に悩んだり迷ったり嫌になったりすることがあるのだろうか?』などと考えてしまう。この本は、人生で息苦しさを覚えるワンシーンの風景や、その瞬間の主人公の心理を徹底的に書きこんでいるため、主人公が頭の中でグルグル考えてしまっていることを恐ろしいほどリアルに追体験できる。そして、そんな閉塞感の漂う日常生活から抜け出すためには、他人の価値観に左右されない、自分だけの希望を何とかして見つけなければならないと書かれている。この本を読んでいる間、やたらとアナログフィッシュの「Living in the City」が頭の中に流れた。

 

 

 

本が読み終わり、耳にイヤホンを付けて、ゆnovationの「wannasing」を聴く。

 

 

画面越し眺める君らの暮らしは窓辺に飾る花のように、そっと心ゆたかに

 

わたしに生きづらさを与えるのは周りの人間であるのと同時に、わたしに生きる希望を与えてくれるのもまた、周囲の友人たちであるのだ。友人たちの明るくひたむきに生きている日常を垣間見ることで励まされる瞬間は確かにある。村上龍とゆnovationの2人は、表現の仕方こそ真逆ではあるが、希望を抱いて行動し続けることが重要であるという共通のメッセージをわたしに伝えてくれる。それにしても「wannasing」の歌詞の乗せ方、たまりません。このアルバム「朗らかに」はめちゃくちゃ良いアルバムだ。

 

 

おおきにアリーナ舞洲にて友人と合流し、会場へと入る。バスケの試合観戦は今回で2回目。富樫勇樹がいるからなのか、千葉ジェッツが人気球団だからなのか分からないが、以前観に来たときよりも客席がパンパンに埋まっている。

 

www.gissha.com

 

コート上にいる富樫を見つける。

 

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ヤクルトの青木や山田哲人を球場で見たときと同じように『うわ~、ほんまにおるんや。』という感情になる。自分の人生と彼らの人生がリンクしているとは全く思えない不思議さ。まあ向こうはこっちのことなんか認識していなくて、一方的なリンクの仕方ではあるが。わたしにとって富樫、青木、山田哲人は向う三軒両隣にちらちらするただの人ではないのだ。当たり前だけれど。そうこうしているうちに試合が始まった。ぶっちゃけこの日の試合で「富樫すげえー!」とはならなかった。大阪エヴェッサが強かったのか、富樫の調子が悪かったのか、富樫のみならず千葉ジェッツ全体の調子が悪かったのか、このうちのどれなのかは分からないが、大阪エヴェッサが終始試合を有利に進めていた。終わってみれば84-69で大阪エヴェッサの勝利。この日が終わった時点で、大阪エヴェッサのWestern Conferenceにおける順位は1位(2019/12/22時点でも1位)。強いやんエヴァッサ。

 

そして明日12/23からは高校バスケの全国大会、ウィンターカップが開幕する。

 

wintercup2019.japanbasketball.jp

 

こっちも面白いから楽しみ。

 

 

ウィンターカップを見ていると、自分にも部活をしていたときがあったんだなあと思う。そんなに上手くはなかったけれど、少しずつできることは増えていっていた気がする。たまに日々を過ごしていて、『おれはこのまま勉強もせずになんとなく生きていたら、これ以上賢くならずに死んでしまうのだろうか・・・。』と考えるときがある。久しく感じていない自分が成長したという感覚。社会に出て仕事ができるようになったというのは、成長ではなくて適応のように思える。何か自分の成長を実感できることを始めたいが、そもそも自分のしたいことが分からない。モヤモヤしながら生きていく。自分が成長しているという小さな希望を見つけられる日が、果たしてこの先、わたしに来るのだろうか。

 

音楽と煙草とその先にある自由(映画「NO SMOKING」)

この前の土曜日はいつもより早起きをして映画を観に行った。細野晴臣のドキュメンタリー映画「NO SMOKING」。

 

hosono-50thmovie.jp

 

上映されている劇場が小さなところであったため、早めに行かないとチケットが売り切れると思い、上映開始1時間前に買いに行った。渡された整理番号の数字は6番。全然余裕ですやん。まあ公開されてちょっと経つし、いまはそんなにみんな観に来ないのか。完全に時間を持て余したため、劇場近くの本屋へ行く。最近、歌人の伊舎堂仁のnoteを読んで、短歌を味わうときに雰囲気だけで感動するのではなくて、もっとちゃんと考えて意味を咀嚼できるようにならなければと思っていた。

 

note.mu

 

そんなところに下のツイートに出会った。

 

 

わたし自身、穂村弘のことは好きだし歌集もいくつか持っている。けれどもなんとなく分かってしまう「もっともらしいペテン」という言葉。このツイートが果たして具体的に穂村弘のどういう部分を指摘して呟かれたかは分からないが(この前のツイートがニューウェーブ以降の短歌の方法論に関する体系について呟かれていることから、穂村弘の短歌の作り方に関することかな?)、ここでオススメされている枡野浩一の「かんたん短歌の作り方」が気になり、立ち読みをしてみようと思った。短歌って5・7・5・7・7の型にはめてしまえば、それっぽくなってしまうことが大いにあると思う。実際、穂村弘などの著名な歌人が短歌を作る際に、31音全体のどこまで意識を巡らせているのかは想像できないが(穂村さんの著書、「短歌の友人」や「短歌という爆弾」を読めば、わたし程度のド素人では到底及ばないほど短歌について深く考えていることが窺えるが。そりゃ当然やろうけど。)、素人が短歌を作る際には雰囲気で言葉を当てはめてもそれっぽくなってしまうことってあるんだろうよ。そして、そのそれっぽさに深く考えずに感動してしまう。それが短歌のいいところでもあれば、欠点にもなりうるところではないだろうか。そこで、短歌の作り方を知れば、鑑賞する際の視点を学ぶことができるのではないかと。この本の内容を読んでみると、素人が投稿してきた短歌を枡野浩一が評価、解説、アドバイスをしていくといったもの。ずいぶん読みやすく、しばらく立ち読みをしていると映画の上映時間が気づけば近づいていた。そのまま勢いで本をレジに持っていき購入。家でゆっくり読もう。

 

かんたん短歌の作り方 (ちくま文庫)

かんたん短歌の作り方 (ちくま文庫)

 

 

上映開始10分前に劇場に入ったが、観にきたお客さんは全員で20人もいないくらい。意外と空いてました。「NO SMOKING」は、細野さんのインタビュー映像やライブ映像、昔の写真などがふんだんに出てくる。ドキュメンタリーだから、情熱大陸とかプロフェッショナルみたいなものにライブ映像が付いてきてる感じです。途中で細野さんがモヤモヤさまぁ〜ずに出たときの映像が流れて少し笑った。細野さんはモヤさまのファン。さまぁ〜ずっていうコンビ名、ちょっとセンスが古く感じてたけど、その力の抜け具合が今なら2周ぐらい回って逆にカッコよく感じる。そして、ライブ映像が良かった。マック・デマルコと歌った「ハニームーン」に、坂本龍一、高橋幸宏、小山田圭吾とともに演奏した「Absolute Ego Dance」。マック・デマルコが、自分が編曲した細野さんの曲を細野さん本人に聴かせる場面や、細野さんに火を付けてもらいながら煙草を一緒に吸うシーンが、なぜか愛おしく映った。そして、高橋幸宏の曲のは入りのドラムに、小山田圭吾のギターを少し低い位置に抱えてシューゲイザーっぽく引く佇まいがめちゃくちゃカッコよかった。「Absolute Ego Dance」の映像が流れ終わったあと、隣に座っていたおっちゃんは音がしないように気をつけながらも拍手をしていた。

 


細野晴臣 - Absolute Ego Dance [Live]

 

それにしても細野さんは若いね。見た目はしっかり歳を取っているけれど、音楽への興味が尽きていないし、おどけたりふざけたりして場を和ませることもあるし、精神が若々しい。服装も開襟シャツにスニーカーとオシャレで似合っている。つーか、かっこいい。魅力がすごい。そしてやたらと煙草を吸う映像が流れる。細野さん曰く、音楽を作るときには煙草の煙が欠かせないとのこと。そこでceroの荒内佑が書いたこのエッセイを思い出した。

 

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このエッセイめちゃくちゃ好きだ。わたし自身は煙草を吸わないが、このエッセイを読むと(ていうかジョルジュ・バタイユの引用文を読むと)、煙草を吸う時間にだけ感じられる無意識の自由があるのだろうことがうかがえ、すこし憧れてしまう。そして、そんな時間にふと、いいメロディやアイデアが浮かんできたりするのだろう。思えば、わたし自身も面白いことが頭に浮かんでくるのは、何かをひねり出そうと考えている時間ではなくて、お風呂に入っているときであったり、会社帰りに自転車に乗りながら鼻歌を歌っているときであったりする。考えようとする時間ではなくて、何も考えずに何かを無意識にしている時間。煙草を吸う時間はそんな時間であり、それが音楽の創作活動において大事な時間になっているのだろう。この映画のタイトルである「NO SMOKING」の意味は、映画のHPで細野さん自身により解説されている。音楽の道に進みそれを続けることも、禁煙が推進される中で煙草を吸い続けることも、世の中においては少数派となる。それでも、それらを愛し続けることで得られる自由がその先にあるのだろうことが、この映画からは伝わってくる。

 

この映画を観終わり映画館を出た後、影響を受けやすいわたしは、すぐにイヤホンを耳に通し、細野さんやYMO、フリッパーズ・ギターのアルバムをウォークマンから流した。いい曲や・・・。細野さんみたいな素敵なかっこいい大人になりたいと、心から憧れてしまった。

いっそのこと木偶の坊になれるかどうかよ

3連休ってあっという間に終わるね。毎週毎週休日がやってくるけれど、読みたい本や勉強したいことがなんやかんやで出来ずに終わる。昼間ってなんであんなにやる気が出ないんだろう。ダラダラしているだけで過ぎていくお昼の時間がもったいない。夜になると急に「よしっ、やるか!」っていう気分になるけれど、あっという間に寝る時間が来てしまう。あとは本を読んでいると昼も夜も関係なく眠たくなるし。この3連休だって毎日8時間ぐらい寝ているのに、お昼の2時ぐらいになるとめちゃくちゃ眠たくなった。睡眠の質が悪いのだろうか・・・。

 

the band apartの新曲「DEKU NO BOY」がひたすらに良い。

 


the band apart / DEKU NO BOY 【MV】

 

木偶の坊からのDEKU NO BOY。バンアパが日本語詞を歌うようになって久しいが、日本語詞を歌うようになったからこそ、ついたように思えるこのタイトル。

 

昼から公園でビールでも飲もうぜ

大体社会に出てもいない

 

って歌詞があるけれど、バンアパの4人でもこんなことをふと気にしてしまう瞬間はあるんだろうかなんてつまらないことを考えてしまった。そして、この曲やブコウスキー、西村賢太の小説、穂村弘のエッセイなどの社会に上手く馴染めないことを表現した作品に対して、簡単に共感を覚えるのは果たしていいのだろうかと思うときがある。自分と同じような生きづらさを感じている人がいることを知れるだけで心が軽くなる面もあれば、自分のダメなところを無条件で肯定するために作品に共感している面も少なからずある。一生そんな作品に慰められてばかりでは人生は何も変わらない。そんなこと、分かってはいるんだけれども。なにが良くてなにが悪いといった単純な話ではないと思うが、なんだかモヤモヤすることが増えてきた今日この頃である。それにしても、ベンチに座ってドラムを叩く小暮氏の佇まいがカッコ良すぎて心が震える。

 

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この曲が良すぎて、最近はバンアパの曲を聴き返している。「my world」、「bacon and eggs」、「taipei」とかが好きです。「8月」もいい。でも「Capone」もいいし「Moonlight Stepper」もいい。なんていう風にずるずると曲を掘り返しては聴いていっている。

 

そして、「DEKU NO BOY」と同じEPに収録されている「SCHOOL」もカッコいい。

 


the band apart / SCHOOL【MV】

 

こっちの曲も歌詞をちゃんと読んでみると社会からのはみ出し者について歌ったような内容。高橋源一郎が教育とは

 

 「一日六時間、みんなで同じ机に向かい、先生が黒板に書いていることを書き写す」というような無意味なことを、我慢できるような人間を作るため

 

と言っていたことを思い出す。

 

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そしてなんとなく呂布カルマの「俺の勝手」も思い出す。

 


[PV] 呂布カルマ - 俺の勝手

 

当然のように未来は 自分で切り開いてく以外ない

 

っていう当たり前のことが難しい。じゃあ難しいっていうけれど、とりあえず何か行動してみましたか?と聞かれると、答えるのが余計に難しい。

 

そして「SCHOOL」の曲調とPVの怪しさからVELTPUNCHを想起する。VELTPUNCHなんてもっと分かりやすくダメ人間について歌っている。しかも怒りをぶちまけながら。それがまたカッコいいんだけれど。ちょっと寒くなってきたこの時期は「Cheap Disco"13 steps"」が良いですね。

 


Cheap Disco"13 steps" / VELTPUNCH

 

アウトローが絶品。

 

それにしても我がウォークマン。なぜにthe band apartのアーティスト名のイニシャルが「V」なのだ。「B」やろ普通。この前、バンアパだけを網羅的に聞こうと思ってアーティスト名の「B」を必死に探したけれど全然出てこなかった。しょうがなくアルバム名の項目からひとつずつ聴きたい曲が収録されているアルバムを選んで再生したけれど。時間があるときに探してみたら「V」におるやん、バンアパが。え、ヴァンアパじゃないよね?しかもパソコン側で曲を管理しているアプリケーションのMusic Centerにおいて、イニシャルを変える方法が分からない。腹立つ。そういうのはちゃんと分類したい派やのに。Music Center、マジで木偶の坊ですわ。

テレビをつけたまま眠ったときのあの妙な幸福感(the Loupes「針の音」)

最近テレビをつけたまま眠ることが多くなってきた。別に見たいテレビがあるわけではないのだが、テレビの音を遠くに聴きながら目をつぶるとなんだか寝つきが良くなる気がするのだ。音量をちょうどいいぐらいに下げ(わたしの家のテレビでは7くらいがちょうどいい)、オフタイマーを30分に設定し、まぶたを閉じておやすみなさい。なんなのだろう、あの妙な安心感と優しさは。

 

それ以外にもテレビを見ながらうっかり寝てしまうのもいい。上に書いたものでは、音量を小さくしオフタイマーをしっかりと設定して「寝るぞ」といったつもりでテレビをつけている。そうではなくて、例えば金曜日の夜、一週間の疲れがたまった状態でお風呂に入り、晩ごはんも食べ終え、やることを全部終わらせてゴールデンタイムのバラエティを寝ころびながら観ていると、だんだんウトウトしてきて気づけば寝てしまっていたといったようなものだ。ちょっとした夢を見て、夢から覚めたときには深夜の2時か3時くらいになっており、つけたままのテレビからは見たことのない芸人が出ているバラエティや知らないアニメが流れている。「ああ、寝てもうてた。よう分からん夢みたなあ」と思いながら、明日は土曜日だし仕事もない、そのことに気づいて少し幸せな気分になる。SMAPの「SHAKE」の歌詞みたいだ。

 


シャムキャッツ - AFTER HOURS @『TAKE CARE』RELEASE TOUR FINAL

 

シャムキャッツのこのライブにおける「AFTER HOURS」の入り方は最高。そして、改めて布団を敷きなおしてちゃんと寝るか、それともそれはめんどくさいしこのまま目を閉じてもう一度寝てしまおうかと逡巡する。楽な道を選び、そのまま目を閉じて寝てしまうたびに、ちゃんと布団を敷いて寝ていたほうが疲れはとれていたなあ、と朝になって思う。それでもこれからも何度もその場で2度寝する道を選び続けるのだろう。

 

the Loupesの「針の音」を聴くと、テレビをつけながら眠るときの、あのフワフワした感覚を思い出すことができる。

 


the Loupes 「針の音」Music Video

 

 

 

子どもの頃の夢は香港俳優でした

つけっぱなしのテレビの前で少し眠る

 

モロに歌詞に出てくるテレビをつけたまま眠る場面の描写。この曲はそれ以外にも様々な場面を描写している。

 

灯りの少ない路地で彼はひとりごと

22時の徘徊 タダで読む漫画

「大人になったらいつか山に籠る」ってさ

今になってわかる気がしてきた

 

夜の散歩に、その途中にある古本屋に寄ってする漫画の立ち読み。さらには大人に近づいてきたときに、山に籠るように静かに暮らしたいという考え方に共感できるようになった瞬間。これらのことを曲にするなんて、うまく言葉にはできないが絶妙なところを選んできたなあと、わたしは感動してしまった。これらすべて、人生においては些細な出来事であると思う。しかし振り返ってみると、夜に歌を口ずさみながら歩くようになる前と後の自分、夜に古本屋で漫画を立ち読みするのが楽しくなる前と後の自分、山に籠りたいという人の気持ちが分かるようになる前と後の自分では、何が変わったとはうまく言葉で説明できないが、確実に何かが変わったような気がするのだ。ドラマはないけれど、決定的な瞬間。この曲を聴くと、そんな瞬間の積み重ねが今の自分を形成しているように思えてくる。

 

こんなことを書いていると、子どものころ、布団に入りながら電気を消してテレビを見るだけで楽しかったことをふと思い出した。基本的にそんなことをするのは許されていなかったが、たまに親の機嫌がいいときに「今日はテレビを見ながら寝てもいいで」と言われることがあった。そうなるともうワクワクが止まらなくて、布団を口のあたりまでかぶりながら見れるだけで、どんな番組でも面白く思えた。それでもやっぱり子どもだから、ものの30分ぐらいで眠たくなってしまい、それほどテレビを見ることもなく寝てしまっていた。とはいえ、大人になった今でも電気を消して布団に入って横になりながら見るテレビは、普通に座って見るよりも少し嬉しさというか楽しさが感じられる気がする。そうするとなんだか無性にそんな風にして夜を過ごしたくなってきた。今日はまだ木曜日。明日のことは考えずに寝落ちしてグッスリ、なんてことはまだできない。それでも明日は金曜日。明日の夜は、何か映画のDVDをレンタルして、それを見てダラダラしながら寝落ちするのもいいかもしれない。

 

キレる和田まんじゅうと自意識の無間地獄(VELTPUNCH「MOUSE OF THE PAIN」)

キングオブコントは終わったけれど、まだまだ関連番組は放送されていて楽しめる。キングオブコントの出場者がトークするといった番組、Abema TVのThe NIGHTを見た。

 

abema.tv

 

ジャルジャル、わらふぢなるお、ゾフィー、ネルソンズといったファイナリストたち、そしてなぜか準決勝で敗退したザ・マミィを加えた5組が、MCのスピードワゴンとともにキングオブコントの感想などを話していく。ネタ作りの話題になったとき、スピードワゴンの小沢さんはジャルジャルのネタの作り方がすごいと大絶賛。ジャルジャルのネタは、台本を書きながら作るのではなく、遊んでいたらできるという感じらしい。そんなジャルジャルのことを小沢さんはビートルズに例えて「二人はジョンとポールなの?」と興奮していた。そして、たまたまジャルジャルの後藤がそのときに着ていた、ビートルズのアルバム「Abbey Road」のジャケットが描かれたTシャツが可愛かった。後藤って60、70年代の洋楽が好きなんかな?昔なにかの番組で、カーペンターズの「Top of the World」を抑揚なしで歌っていたのが面白かった。ああ、名曲。ネタ作りの話に戻るけど、ネタなんて自分で考えたことがないから、ジャルジャルの作り方がどれだけすごいものなのかは分からない。だけれども、とにかくスピードワゴンの小沢さんがすごいと言っていたからすごいのだろう。小沢さんはファンかというぐらい、終始、ジャルジャルのことを褒め倒していた。小沢さんのお笑い大好きな感じ、見ていてホッコリするし、本当に好きなんだなということが伝わってくる。ネルソンズもジャルジャル同様に台本を書かずに、ひとつの設定を決めて、あとは立ち稽古で作っていくと言っていた。それなのに、ネット上で台本がクソつまんねえというコメントが書かれていることに対して、和田まんじゅうがキレていたのが面白かった。

 

本(台本)でやってねえから。

じゃあ本だけ見とけと思うんすよ。

マジで腹立つんスよ。

なんも分かってねえような奴らが。

 

和田まんじゅう、魂の叫び。ネルソンズのネタは台本(ネタの構成)が特徴なのではなく、和田まんじゅうが追い込まれたときに出てくる感情をのせた一言こそがキモであるのだ。和田まんじゅうが、どれだけコントに本気になっているのかが伝わってくる。こういう風にお笑いに熱くなっている芸人を見ると、なぜ、面白くもありながら、なんだか嬉しくなってくるのだろう。彼らのこだわりが垣間見えたときに、なぜ嬉しくなってくるのだろう。その他にも、福徳が「(M-1よりも)キングオブコントのほうがちょっと軽めですね。」と言ったことや、ゾフィーのサイトウの番組中に偶然生まれたギャグ「やめなよ」(本人が押してる「チェだぜ!」は一回も出てこなかった)、ザ・マミィが来年決勝に行くであろうコンビの予想としてフランスピアノを挙げていたことなど、見所満載で面白かった。なにより、小沢さんのMCが優しくて最高でした。もちろん、ハンバーグ師匠も面白かったです。

 

そして最近、第四次Peeping Lifeブームが自分の中で起こっている。去年の今頃もハマっていたような。

 

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夏が終わり秋が近づくと、Peeping Lifeが見たくなるのだろうか・・・。今回は聖剣エクスカリバーの回をひたすら見ている。

 


聖剣!?エクスカリバー 前編 Peeping Life-World History #12

 


聖剣!?エクスカリバー 後編 Peeping Life-World History #13

 

アーサー王とランスロットのやりとりが面白い。王のはずなのに剣が抜けないアーサー王。「長年突き刺しすぎやろ」と文句を言い出す。特に後編のやりとりが好きです。徐々にタメ口になっていくランスロット。仲良くグダグダ、ウダウダ話しているがいいですね。

 

 

音楽ではVELTPUNCHをよく聴いています。カッコいい。

 


VELTPUNCH - MOUSE OF THE PAIN

 

感動はけっこう 自身の肯定 

 

という歌詞が刺さる。この作品の素晴らしさが分かるのは自分だけだっていう肯定とか、クズみたいなキャラに感動するのは、実はクズみたいな自分を肯定したいからとか、この作品に涙を流せる純粋な自分は美しい感性をもっているという肯定とか。そんなことばっかり気にしてひねくれてるなあなんて言われたとしても、そこをあえてこの曲のように叫んでほしいときもある。っていう風に共感することは、やっぱりみんなとは違うところに気づいているという自身の肯定になる?ああ、がんじがらめ。この曲を聴くと、芥川龍之介の「枯野抄」を思い出す。

 

枯野抄

枯野抄

 

 

www.aozora.gr.jp

 

松尾芭蕉の死の淵を目の前にした弟子たちの心情を描いたこの作品。読んでいると、自意識というものを意識させられて、身動きが取れなくなってくる。物事を客観視している自分のことが、やたらと嘘っぽく、演技臭く思えてくる。例えば、いじめられている子を目にした時に、見て見ぬふりをしてしまった。そんなことを思い出し、あのとき、自分が勇気を出して助けてやれていたなら、なんてことを思ったりする。そう思ったことを誰かに話したり、ブログに書いたり、他人に発信したりするときに、果たして自分は純粋にいじめられていた子のことだけを考えて発信しているだろうか?それを発信している自分が他人にどう思われるだろうかといった視点や、それを発信することでなにか罪悪感から解放されようとしている自分を意識してしまわないだろうか。といったことを考え出すと、もう出口が見えなくなる。自分の行動を客観視する自分に気づいたとき、また、その自分を客観視しているという行為がわざとらしく思えるような、新たな客観視する自分が出てくる。客観視の客観視の客観視の客観視の・・・・。ああ、抜け出せない自意識の無間地獄。こんな作品を書いた芥川龍之介、そりゃ考えすぎて自殺してまうわと思わないこともない。

 

なんか話の緩急がえげつないことになってしまったけれど、とりあえずお笑いは最高と言っておきたい。NHK新人お笑い大賞が楽しみです。

 

natalie.mu

"今日の天使"っているよねっていう漫画(和山やま「夢中さ、きみに。」)

最近、カネコアヤノのこの動画を見まくっている。

 


DAX × lute:カネコアヤノ「天使とスーパーカー」

 

「天使とスーパーカー」、めちゃくちゃ好きだ。そして何より、この動画の開始から0:35あたりまでのカネコアヤノの表情が最高だ。なんか笑ける。別に馬鹿にしてるわけじゃなくて、見ていると楽しい気持ちになってくる。この口を一文字に結びながらも半にやけ顔でギターを弾いている姿がいい。

 

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「目線は同じだから」のところのジェスチャーもいい。

 

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「ベイベー あっしたの~」の「あっ」のときのクンッってなるとこもいい。

 

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「ドラマチックな人生かっこいい」のとこで笑顔になるのもいい。

 

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ただただいい。もう一度言うけど、なんか笑える。楽しい気持ちになる。なんて楽しそうに演奏するんだろう。そして、カネコアヤノだけが楽しそうなわけではなく、他のメンバーも含めて、4人全員が楽しそうなのだ。さらには、見ているとただ楽しそうというだけではなく、なんかカッコいいなという感情まで湧いてくる。4人全員のたたずまいがカッコいい。なんだこの無敵感は。とにかく最高だ。

 

そして、和山やまの「夢中さ、きみに。」も最高の漫画。

 

夢中さ、きみに。 (ビームコミックス)

夢中さ、きみに。 (ビームコミックス)

 

 

この漫画は、Twitterでオススメされているのを見て知った。試し読みをしたところ、一発でハマってしまった(下のリンクで試し読みできます)。何この漫画、最高やんってなった。

 

comic-walker.com

 

すぐに欲しくなり調べてみたところ、なんと私が知ったころには初版はもうすでにほとんど残っておらず、全然手に入れることができなくなっていた。Twitterで検索してみると、欲しいけど、どこの本屋にも置いていないと嘆いている人たちの多いことよ。そして、9月に入ってようやく手に入れることができた。

 

この漫画は基本的に高校生の群像劇を描いているのだが、前半の4話には共通して林くんという男の子が出てくるエピソード、後半の4話は二階堂くんと目高くんという2人がメインとなるエピソードで構成されている。そして、この漫画の素晴らしいところは、クラスメイト同士、先輩と後輩、はたまた別の学校の生徒同士といった様々な関係性における(林くんはその時々により様々な役割を演じる)、"友情の芽生え"の瞬間の素晴らしさを味わえるところだと思うのだ。そして、先に挙げたカネコアヤノの「天使とスーパーカー」の歌詞にもなっている"今日の天使"という言葉を借りると、誰かにとっての"今日の天使"はこの人だという瞬間が描かれている。

 

mikiki.tokyo.jp

 

上に引用したインタビューにおいて語られている、カネコアヤノの友達が「今日の天使っているよね」と言ったというエピソードにも、「夢中さ、きみに。」を読むとひどく共感できるようになる。もうこのね、「おれこいつのこと、ちょっと好きかも」っていう感じがね、たまらなく良いわけですよ。心があったかくなるわけですよ。林くんは色んな人の"今日の天使"となっているし、二階堂くんと目高くんは、お互いがお互いの"今日の天使"として成立し合っている。ああ、いい漫画。

 

そして、こういった"友情の芽生え"といった瞬間の描写だけでなく、些細な日常会話のセリフも面白い。というか、このセリフの面白さが、キャラの魅力を立ち上がらせている面もある。江間くんのおれは小便中に話しかけられるのは嫌いってとことか、林くんの松尾さんに対する「松尾さんはおいも3兄弟の何番目ですか?」という質問、さらにはそれに対する松尾さんの「私ひとりでおいも3兄弟です」という回答。ああ、いい。魅力が凄い。高校のころに戻りたい。この漫画を読んでから高校時代に戻れたのなら、今度はもうちょっと面白い学生生活を送れるような気がする。いや、無理か。面白い会話の漫画を読んだだけで、自分も同じくらい面白い会話ができるようになるはずがない。でもなぜかそう思ってしまう。スラムダンクを読んだ後に、なんかバスケができるような気になっているのと同じ現象が起きてしまっている。

 

会話だけではなく、漫画の中のさりげないシーンもいい。林くんと松屋さんがベンチに座って会話する際の「目を見て会話しない2人」という見出しに、林くんが作った干し芋をさりげなく手で拒否する小松くんも面白い。さらには第1話「かわいい人」において、パンダの着ぐるみを着た林くんが笑った際に、その着ぐるみのせいで林くんの表情を見れなかった江間くんが『(林は)どんな顔して笑うんだろう』と思ったのを受けて、その後の各エピソードでそれぞれ一回ずつ見られる林くんの様々な表情の笑顔よ。演出がニクイよね。ここのニクイは"にくい"じゃなくて片仮名の"ニクイ"にしたいよね。カネコアヤノといい、林くんといい、表情がいい人を見ているとこっちまで気持ちが明るくなる。

 

まあなんにせよ、和山やまさんの「夢中さ、きみに。」は素晴らしいマンガでした。もはや何回も読み直しています。