牛車で往く

日記や漫画・音楽などについて書いていきます 電車に乗ってるときなどの暇つぶしにでも読んでください

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おれの人生の延長線上にいる富樫勇樹を見に行くのだ(アナログフィッシュ「Iwashi」)

先日、大阪エヴェッサvs千葉ジェッツのバスケの試合を観に行った。千葉ジェッツには彼がいる。そう元NBA契約選手、富樫勇樹が。富樫勇樹を見てみたい、友人と話しているときにそんな話題になり、じゃあ大阪エヴェッサと試合があるときに見に行こうとなったのだ。

 

試合は15:00から。『富樫のプレーが見れるのか・・・。』とワクワクしながら、会場のおおきにアリーナ舞洲へと向かう。行きの電車の中で村上龍の「空港にて」を読む。

 

空港にて (文春文庫)

空港にて (文春文庫)

  • 作者:村上 龍
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/05/10
  • メディア: 文庫
 

 

一人称視点であるはずなのに、まるで三人称視点のように感情を排除した冷めた文体。日常生活において我々の身にまとわりつく何とも言えない息苦しさ。人生に生きづらさを感じる、そんなときにはわたしは自分の頭の中だけで色んなことをグルグルグルグル考えてしまっている。『あのとき、あの人との会話でこういう風に答えていれば、いまとは違う関係になっていたのか?』『この人は果たして、わたしと同じように人生に悩んだり迷ったり嫌になったりすることがあるのだろうか?』といったことを考えてしまう。この本は、人生で息苦しさを覚えるワンシーンの風景やその瞬間の主人公の心理を徹底的に書きこんでいるため、主人公の頭の中でグルグル考えてしまっていることが恐ろしいほどリアルに追体験できる。そして、そんな閉塞感の漂う日常生活から抜け出すためには、他人の価値観に左右されない、自分だけの希望を何とかして見つけなければならないと書かれている。この本を読んでいる間、やたらとアナログフィッシュの「Living in the City」が頭の中に流れた。

 

 

 

本が読み終わり、耳にイヤホンを付けて、ゆnovationの「wannasing」を聴く。

 

 

画面越し眺める君らの暮らしは窓辺に飾る花のように、そっと心ゆたかに

 

わたしに生きづらさを与えるのは周りの人間であるのと同時に、わたしに生きる希望を与えてくれるのもまた、周囲の友人たちであるのだ。友人たちの明るくひたむきに生きている日常を垣間見ることで励まされる瞬間は確かにある。村上龍とゆnovationの2人は、表現の仕方こそ真逆ではあるが、希望を抱いて行動し続けることが重要であるという共通のメッセージをわたしに伝えてくれる。それにしても「wannasing」の歌詞の乗せ方、たまりません。このアルバム「朗らかに」はめちゃくちゃ良いアルバムだ。

 

 

おおきにアリーナ舞洲にて友人と合流し、会場へと入る。バスケの試合観戦は今回で2回目。富樫勇樹がいるからなのか、千葉ジェッツが人気球団だからなのか分からないが、以前観に来たときよりも客席がパンパンに埋まっている。

 

www.gissha.com

 

コート上にいる富樫を見つける。

 

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ヤクルトの青木や山田哲人を球場で見たときと同じ『うわ~、ほんまにおるんや。』という感情になる。自分の人生と彼らの人生がリンクしているとは全く思えない不思議さ。まあ向こうはこっちのことなんか認識していなくて、一方的なリンクの仕方ではあるが。わたしにとって富樫、青木、山田哲人は向う三軒両隣にちらちらするただの人ではないのだ、当たり前だけど。そうこうしているうちに試合が始まった。ぶっちゃけこの日の試合で「富樫すげえー!」とはならなかった。大阪エヴェッサが強かったのか、富樫の調子が悪かったのか、富樫のみならず千葉ジェッツの全体の調子が悪かったのか、このうちのどれなのかは分からないが、大阪エヴェッサが終始試合を有利に進めていた。終わってみれば84-69で大阪エヴェッサの勝利。この日が終わった時点で、大阪エヴェッサのWestern Conferenceにおける順位は1位(2019/12/22時点でも1位)。強いやんエヴァッサ。

 

そして明日の12/23からは高校バスケの全国大会、ウィンターカップが開幕する。

 

wintercup2019.japanbasketball.jp

 

こっちも面白いから楽しみ。

 

 

ウィンターカップを見ていると、自分にも部活をしていたときがあったんだなあと思う。そんなに上手くはなかったけれど、少しずつできることは増えていっていた気がする。たまに日々を過ごしていて、『おれはこのまま勉強もせずになんとなく生きていたら、これ以上賢くならずに死んでしまうのだろうか・・・。』と考えるときがある。久しく感じていない自分が成長したという感覚。社会に出て仕事ができるようになったというのは、成長ではなくて適応のように思える。何か自分の成長を実感できることを始めたいが、そもそも自分のしたいことも分からない。モヤモヤしながら生きていく。自分が成長しているという小さな希望を見つけられる日が、果たしてこの先、わたしに来るのだろうか。

 

スピッツ・サザン・嵐とサブスク解禁されたけれど、着いて行けてない

個人的に音楽はサブスクではあまり聴かずにCDをメインとして聴いている。ただ、たまーに無料のSpotifyで聴く程度。そんな感じですが、最近スピッツにサザンオールスターズとサブスク解禁がなされており、月額1000円くらいで聴き放題の魅力に引っ張られそうになってきた。

 

外で音楽を聴くときはウォークマンを使っているのだけれど、以前にも書いたように容量がパンパンだから、新しい曲を入れる際にはあまり聴いていない曲を抜くという作業が必要になってきている。それがまあ面倒くさい。そして抜いた曲が途端に聴きたくなってくる。じゃあもう月額払ってサブスクに切り替えちまおうかと思いながら、なんだかんだで1年くらいが経とうとしている。なぜか踏み出せないのは何なんだろう。キャッシュレス決済もそっちのほうがお得なのに中々踏み出せず、未だに現金で支払っている。なんて腰が重いのだ。

 

スピッツは最近「ありがとさん」ばっかり聴いている。

 


スピッツ / ありがとさん

 

イントロが「夢追い虫」や「恋のはじまり」に似ている。わたしはこの感じのベースとドラムに弱いのだろうか。曲の冒頭で

 

君と過ごした日々は やや短いかもしれないが

どんなに美しい宝よりも 貴いと言える

 

なんてことを草野マサムネの声でサラッと歌われると「ああっ、いいっ・・・!」とグッときてしまう。この声は永遠だな。

 

 

サザンもとい桑田佳祐は「ダーリン」ですね、季節的に。

 

 

サザンの「LOVE AFFAIR~秘密のデート~」のソロ版と言ったとこでしょうか。こういう曲を書かせたらホンマに天才的ですね、桑田佳祐は。ポップだけど聴いた後に残る切ない感情。定期的にこのタイプの曲をリリースしてほしい。海はなぜこんなにもセンチメンタルな気分を誘うのか。横浜のハーバービュー。旅行に行ったときは雨が降っており、ちゃんと見ることができなかったので、いつかリベンジしに行きたい。

 

 

スピッツ、サザンとサブスクが解禁されたけれど、YUKIはされてないんだね(ちゃんと調べたら普通に配信されていました(YUKI、ソロデビュー以降の楽曲群が本日サブスク解禁 - 音楽ナタリー)。ただSpotifyでは配信されていないんですね。なんでや。Spotifyも解禁されました(YUKI最新アルバムのストリーミング配信開始、Spotifyでのサービスもスタート - 音楽ナタリー)。)。今さらになってYUKIのアルバム「forme」を聴いているけれど、これ、とびきりの名盤じゃないでしょうか。

 

forme (通常盤) (特典なし)

forme (通常盤) (特典なし)

  • アーティスト:YUKI
  • 出版社/メーカー: ERJ
  • 発売日: 2019/02/06
  • メディア: CD
 

 

「風来坊」以降の後半の流れがめちゃくちゃ良い。特に「転校生になれたら」がたまらない。

 

 

歌詞のイノセントな感じがいい。なんかたまに、いまの自分の周りの環境から解放されたくて全部リセットしたいってときあるよね。自分のことを知っている人が誰一人いないところに行ければ、生まれ変わったように新しい自分になれるんじゃないかって。いまを脱ぎ捨てたいなって。自分のことを分かってほしいっていう部分と踏み込んで欲しくないていう部分のバランスは難しいよね。愛し愛されて生きるのさなんて開き直って言ってみたいもんよ。ところで「転校生になりたい」の作曲は川本真琴で編曲はSTUTSがしてるんやね。川本真琴も相変わらずグッドなメロディメーカーですな。ていうかこのアルバムは参加しているアーティスト陣がめちゃくちゃ豪華ですね。ホンマにいまさら知りましたよ。

 

natalie.mu

 

YUKIもいいけど、JUDY AND MARYもいい。ジュディマリもスピッツばりに色褪せないバンド。いま聴いてもめちゃくちゃ良い。「motto」のめちゃくちゃバリバリに自己主張の強いギターが最高で大好きです。

 

 

特に2番に入ったときのヴォーカルとドラムだけのところからギターが入ってくるところがゾクゾクします。ドラムのタイトな感じもいい。

 

 

そういえばジャニーズもほとんどサブスクで配信されていない。嵐だけが活動休止を受けて配信されているけれど。YUKI繋がりで、YO-KINGが作詞作曲したKinKi Kidsの「Hey! みんな元気かい?」もめちゃくちゃ聴いている。

 

Hey!みんな元気かい?

Hey!みんな元気かい?

  • アーティスト:KinKi Kids,堂本剛
  • 出版社/メーカー: ジャニーズ・エンタテイメント
  • 発売日: 2001/11/14
  • メディア: CD
 

 

最近ふと、高校のころのめちゃくちゃいい奴だった友達のことをよく思い出す。彼とはクラスは同じだったけれど、学校外で遊ぶほどの関係ではなかった。でも、彼は性格が明るくて誰にでも分け隔てなく接するようなめちゃくちゃいい奴で、わたしは彼のことがめちゃくちゃ好きだった。そんな彼はいまごろどこで何をして生きているんだろう、彼には幸せに暮らしていてほしいと思うときがある。それは自分がたまたま優しい気持ちになれているタイミングだからなのか、毎日が辛くて世界が優しいものであってほしいと思う気持ち、願いを無理やり彼の幸せに投影しているからなのかは分からないが。まあそんな風にして、「Hey! みんな元気かい?」って呼びかけたい夜がある。

 

YUKIの「forme」と合わせて、いまさらハマってるアルバムのもう一つとして、踊Foot Worksの「GOKOH」がある。

 

“GOKOH + KAMISAMA"

“GOKOH + KAMISAMA"

  • アーティスト:踊Foot Works
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2019/07/03
  • メディア: CD
 

 

特に「NEASE」の歌詞がドンピシャ過ぎて懐かしくなる。

 

 

バーバリアン2号、青春アミーゴっていう韻の踏み方、ハンパねえ。狙いがピンポイント過ぎるでしょうよ。

 

see!!俺たちは2人で一つ

 

とはバーバリアン1号目線のセリフなのか・・・。この遊び心がいい。ちなみにわたしはバーバリアン2号しか持っていなかったので、彼らを2人で一つにしてあげることはできなかった。どこかで余っていた片割れのバーバリアン1号のことを思う・・・。

 

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それにしても最近はやたらと昔、特に学生時代のことを思い出してしまう。それは社会人になって話すことが現実的なことばかりだからなのかもしれない。学生のころはもっと好きなテレビ番組、お笑い、漫画、音楽、小説について語ることのできる相手がいたけれど、いまはそう多くはいない。ていうか会社にはなかなか趣向の合う人がおらんなあ。わたしはもっと無駄話がしたいんだけれども、大人になるとそうもいかないようです。

音楽と煙草とその先にある自由(映画「NO SMOKING」)

この前の土曜日はいつもより早起きをして映画を観に行った。細野晴臣のドキュメンタリー映画「NO SMOKING」。

 

hosono-50thmovie.jp

 

上映されている劇場が小さなところであったため、早めに行かないとチケットが売り切れると思い、上映開始1時間前に買いに行った。渡された整理番号の数字は6番。全然余裕ですやん。まあ公開されてちょっと経つし、いまはそんなにみんな観に来ないのか。完全に時間を持て余したため、劇場近くの本屋へ行く。最近、歌人の伊舎堂仁のnoteを読んで、短歌を味わうときに雰囲気だけで感動するのではなくて、もっとちゃんと考えて意味を咀嚼できるようにならなければと思っていた。

 

note.mu

 

そんなところに下のツイートに出会った。

 

 

わたし自身、穂村弘のことは好きだし歌集もいくつか持っている。けれどもなんとなく分かってしまう「もっともらしいペテン」という言葉。このツイートが果たして具体的に穂村弘のどういう部分を指摘して呟かれたかは分からないが(この前のツイートがニューウェーブ以降の短歌の方法論に関する体系について呟かれていることから、穂村弘の短歌の作り方に関することかな?)、ここでオススメされている枡野浩一の「かんたん短歌の作り方」が気になり、立ち読みをしてみようと思った。短歌って5・7・5・7・7の型にはめてしまえば、それっぽくなってしまうことが大いにあると思う。実際、穂村弘などの著名な歌人が短歌を作る際に、31音全体のどこまで意識を巡らせているのかは想像できないが(穂村さんの著書、「短歌の友人」や「短歌という爆弾」を読めば、わたし程度のド素人では到底及ばないほど短歌について深く考えていることが窺えるが。そりゃ当然やろうけど。)、素人が短歌を作る際には雰囲気で言葉を当てはめてもそれっぽくなってしまうことってあるんだろうよ。そして、そのそれっぽさに深く考えずに感動してしまう。それが短歌のいいところでもあれば、欠点にもなりうるところではないだろうか。そこで、短歌の作り方を知れば、鑑賞する際の視点を学ぶことができるのではないかと。この本の内容を読んでみると、素人が投稿してきた短歌を枡野浩一が評価、解説、アドバイスをしていくといったもの。ずいぶん読みやすく、しばらく立ち読みをしていると映画の上映時間が気づけば近づいていた。そのまま勢いで本をレジに持っていき購入。家でゆっくり読もう。

 

かんたん短歌の作り方 (ちくま文庫)

かんたん短歌の作り方 (ちくま文庫)

 

 

上映開始10分前に劇場に入ったが、観にきたお客さんは全員で20人もいないくらい。意外と空いてました。「NO SMOKING」は、細野さんのインタビュー映像やライブ映像、昔の写真などがふんだんに出てくる。ドキュメンタリーだから、情熱大陸とかプロフェッショナルみたいなものにライブ映像が付いてきてる感じです。途中で細野さんがモヤモヤさまぁ〜ずに出たときの映像が流れて少し笑った。細野さんはモヤさまのファン。さまぁ〜ずっていうコンビ名、ちょっとセンスが古く感じてたけど、その力の抜け具合が今なら2周ぐらい回って逆にカッコよく感じる。そして、ライブ映像が良かった。マック・デマルコと歌った「ハニームーン」に、坂本龍一、高橋幸宏、小山田圭吾とともに演奏した「Absolute Ego Dance」。マック・デマルコが、自分が編曲した細野さんの曲を細野さん本人に聴かせる場面や、細野さんに火を付けてもらいながら煙草を一緒に吸うシーンが、なぜか愛おしく映った。そして、高橋幸宏の曲のは入りのドラムに、小山田圭吾のギターを少し低い位置に抱えてシューゲイザーっぽく引く佇まいがめちゃくちゃカッコよかった。「Absolute Ego Dance」の映像が流れ終わったあと、隣に座っていたおっちゃんは音がしないように気をつけながらも拍手をしていた。

 


細野晴臣 - Absolute Ego Dance [Live]

 

それにしても細野さんは若いね。見た目はしっかり歳を取っているけれど、音楽への興味が尽きていないし、おどけたりふざけたりして場を和ませることもあるし、精神が若々しい。服装も開襟シャツにスニーカーとオシャレで似合っている。つーか、かっこいい。魅力がすごい。そしてやたらと煙草を吸う映像が流れる。細野さん曰く、音楽を作るときには煙草の煙が欠かせないとのこと。そこでceroの荒内佑が書いたこのエッセイを思い出した。

 

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このエッセイめちゃくちゃ好きだ。わたし自身は煙草を吸わないが、このエッセイを読むと(ていうかジョルジュ・バタイユの引用文を読むと)、煙草を吸う時間にだけ感じられる無意識の自由があるのだろうことがうかがえ、すこし憧れてしまう。そして、そんな時間にふと、いいメロディやアイデアが浮かんできたりするのだろう。思えば、わたし自身も面白いことが頭に浮かんでくるのは、何かをひねり出そうと考えている時間ではなくて、お風呂に入っているときであったり、会社帰りに自転車に乗りながら鼻歌を歌っているときであったりする。考えようとする時間ではなくて、何も考えずに何かを無意識にしている時間。煙草を吸う時間はそんな時間であり、それが音楽の創作活動において大事な時間になっているのだろう。この映画のタイトルである「NO SMOKING」の意味は、映画のHPで細野さん自身により解説されている。音楽の道に進みそれを続けることも、禁煙が推進される中で煙草を吸い続けることも、世の中においては少数派となる。それでも、それらを愛し続けることで得られる自由がその先にあるのだろうことが、この映画からは伝わってくる。

 

この映画を観終わり映画館を出た後、影響を受けやすいわたしは、すぐにイヤホンを耳に通し、細野さんやYMO、フリッパーズ・ギターのアルバムをウォークマンから流した。いい曲や・・・。細野さんみたいな素敵なかっこいい大人になりたいと、心から憧れてしまった。

いっそのこと木偶の坊になれるかどうかよ(the band apart「DEKU NO BOY」)

3連休ってあっという間に終わるね。毎週毎週休日がやってくるけれど、読みたい本や勉強したいことがなんやかんやで出来ずに終わる。昼間ってなんであんなにやる気が出ないんだろう。ダラダラしているだけで過ぎていくお昼の時間がもったいない。夜になると急に「よしっ、やるか!」っていう気分になるけれど、あっという間に寝る時間が来てしまう。あとは本を読んでいると昼も夜も関係なく眠たくなるし。この3連休だって毎日8時間ぐらい寝ているのに、お昼の2時ぐらいになるとめちゃくちゃ眠たくなった。睡眠の質が悪いのだろうか・・・。

 

the band apartの新曲「DEKU NO BOY」がひたすらに良い。

 


the band apart / DEKU NO BOY 【MV】

 

木偶の坊からのDEKU NO BOY。バンアパが日本語詞を歌うようになって久しいが、日本語詞を歌うようになったからこそ、ついたように思えるこのタイトル。

 

昼から公園でビールでも飲もうぜ

大体社会に出てもいない

 

って歌詞があるけれど、バンアパの4人でもこんなことをふと気にしてしまう瞬間はあるんだろうかなんてつまらないことを考えてしまった。そして、この曲やブコウスキー、西村賢太の小説、穂村弘のエッセイなどの社会に上手く馴染めないことを表現した作品に対して、簡単に共感を覚えるのは果たしていいのだろうかと思うときがある。自分と同じような生きづらさを感じている人がいることを知れるだけで心が軽くなる面もあれば、自分のダメなところを無条件で肯定するために作品に共感している面も少なからずある。一生そんな作品に慰められてばかりでは人生は何も変わらない。そんなこと、分かってはいるんだけれども。なにが良くてなにが悪いといった単純な話ではないと思うが、なんだかモヤモヤすることが増えてきた今日この頃である。それにしても、ベンチに座ってドラムを叩く小暮氏の佇まいがカッコ良すぎて心が震える。

 

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この曲が良すぎて、最近はバンアパの曲を聴き返している。「my world」、「bacon and eggs」、「taipei」とかが好きです。「8月」もいい。でも「Capone」もいいし「Moonlight Stepper」もいい。なんていう風にずるずると曲を掘り返しては聴いていっている。

 

そして、「DEKU NO BOY」と同じEPに収録されている「SCHOOL」もカッコいい。

 


the band apart / SCHOOL【MV】

 

こっちの曲も歌詞をちゃんと読んでみると社会からのはみ出し者について歌ったような内容。高橋源一郎が教育とは

 

 「一日六時間、みんなで同じ机に向かい、先生が黒板に書いていることを書き写す」というような無意味なことを、我慢できるような人間を作るため

 

と言っていたことを思い出す。

 

www.gissha.com

 

そしてなんとなく呂布カルマの「俺の勝手」も思い出す。

 


[PV] 呂布カルマ - 俺の勝手

 

当然のように未来は 自分で切り開いてく以外ない

 

っていう当たり前のことが難しい。じゃあ難しいっていうけれど、とりあえず何か行動してみましたか?と聞かれると、答えるのが余計に難しい。

 

そして「SCHOOL」の曲調とPVの怪しさからVELTPUNCHを想起する。VELTPUNCHなんてもっと分かりやすくダメ人間について歌っている。しかも怒りをぶちまけながら。それがまたカッコいいんだけれど。ちょっと寒くなってきたこの時期は「Cheap Disco"13 steps"」が良いですね。

 


Cheap Disco"13 steps" / VELTPUNCH

 

アウトローが絶品。

 

それにしても我がウォークマン。なぜにthe band apartのアーティスト名のイニシャルが「V」なのだ。「B」やろ普通。この前、バンアパだけを網羅的に聞こうと思ってアーティスト名の「B」を必死に探したけれど全然出てこなかった。しょうがなくアルバム名の項目からひとつずつ聴きたい曲が収録されているアルバムを選んで再生したけれど。時間があるときに探してみたら「V」におるやん、バンアパが。え、ヴァンアパじゃないよね?しかもパソコン側で曲を管理しているアプリケーションのMusic Centerにおいて、イニシャルを変える方法が分からない。腹立つ。そういうのはちゃんと分類したい派やのに。Music Center、マジで木偶の坊ですわ。

テレビをつけたまま眠ったときのあの妙な幸福感(the Loupes「針の音」)

最近、テレビをつけたまま眠ることが多くなってきた。別に見たいテレビがあるわけではないのだが、テレビの音を遠くに聴きながら目をつぶるとなんだか寝つきが良くなる気がするのだ。テレビの音量をちょうどいいぐらいに下げ(わたしの家のテレビでは7くらいがちょうどいい)、オフタイマーを30分に設定し、まぶたを閉じておやすみなさい。なんなのだろう、あの妙な安心感と優しさは。

 

それ以外にも、テレビを見ながらうっかり寝てしまうのもいい。上に書いたものでは、音量を小さくし、オフタイマーをしっかりと設定して、「寝るぞ」というつもりでテレビをつけている。そうではなくて、例えば金曜日の夜、一週間の疲れがたまった状態で、お風呂に入り、晩ごはんも食べ終わり、やることを全部終わらせてゴールデンタイムのバラエティを寝ころびながら観ていると、だんだんウトウトしてきて気づけば寝てしまっていたといったようなものだ。ちょっとした夢を見て、夢から覚めたときには深夜の2時か3時くらいになっており、つけたままのテレビからは見たことのない芸人が出ているバラエティや知らないアニメが流れている。「ああ、寝てもうてた。よう分からん夢みたなあ。」と思いながら、明日は土曜日だし仕事もない、そのことに気づいて少し幸せな気分になる。SMAPの「SHAKE」の歌詞みたいだ。

 


シャムキャッツ - AFTER HOURS @『TAKE CARE』RELEASE TOUR FINAL

 

シャムキャッツのこのライブにおける「AFTER HOURS」の入り方は最高。そして、改めて布団を敷きなおしてちゃんと寝るか、それともそれはめんどくさいしこのまま目を閉じてもう一度寝てしまおうかと逡巡する。楽な道を選び、そのまま目を閉じて寝てしまうたびに、ちゃんと布団を敷いて寝ていたほうが疲れはとれていたなあと、朝になって思う。それでも、これからも何度もその場で2度寝する道を選び続けるのだろう。

 

the Loupesの「針の音」を聴くと、テレビをつけながら眠るときの、あのフワフワした感覚を思い出すことができる。

 


the Loupes 「針の音」Music Video

 

 

 

子どもの頃の夢は香港俳優でした

つけっぱなしのテレビの前で少し眠る

 

モロに歌詞に出てくるテレビをつけたまま眠る場面の描写。この曲はそれ以外にも様々な場面を描写している。

 

灯りの少ない路地で彼はひとりごと

22時の徘徊 タダで読む漫画

「大人になったらいつか山に籠る」ってさ

今になってわかる気がしてきた

 

夜の散歩に、その途中にある古本屋に寄ってする漫画の立ち読み。さらには大人に近づいてきたときに、山に籠るように静かに暮らしたいという考え方に共感できるようになった瞬間。これらのことを曲にするなんて、うまく言葉にはできないが絶妙なところを選んできたなあと、わたしは感動してしまった。これらすべて、人生においては些細な出来事であると思う。しかし振り返ってみると、夜に歌を口ずさみながら歩くようになる前と後の自分、夜に古本屋で漫画を立ち読みするのが楽しくなる前と後の自分、山に籠りたいという人の気持ちが分かるようになる前と後の自分は、何が変わったとはうまく言葉で説明できないが、確実に何かが変わったような気がするのだ。ドラマはないけれど、決定的な瞬間。この曲を聴くと、そんな瞬間の積み重ねが今の自分を形成しているように思えてくる。

 

こんなことを書いていると、子どものころ、布団に入りながら電気を消してテレビを見るだけで楽しかったことをふと思い出した。基本的にそんなことをするのは許されていなかったが、たまに親の機嫌がいいときに「今日はテレビを見ながら寝てもいいで。」と言われることがあった。そうなるともうワクワクが止まらなくて、布団を口のあたりまでかぶりながら見れるだけで、どんな番組でも面白く思えた。それでもやっぱり子どもだから、ものの30分ぐらいで眠たくなってしまい、それほどテレビを見ることもなく寝てしまっていた。とはいえ、大人になった今でも電気を消して布団に入って横になりながら見るテレビは、普通に座って見るよりも少し嬉しさというか楽しさを感じている気がする。そうするとなんだか無性にそんな風にして夜を過ごしたくなってきた。今日はまだ木曜日。明日のことは考えずに寝落ちしてグッスリなんてことはまだできない。それでも明日は金曜日。明日の夜は、何か映画のDVDをレンタルして、それを見てダラダラしながら寝落ちするのもいいかもしれない。

 

キレる和田まんじゅうと自意識の無間地獄(VELTPUNCH「MOUSE OF THE PAIN」)

キングオブコントは終わったけれど、まだまだ関連番組は放送されていて楽しめる。キングオブコントの出場者がトークするといった番組、Abema TVのThe NIGHTを見た。

 

abema.tv

 

ジャルジャル、わらふぢなるお、ゾフィー、ネルソンズといったファイナリストたち、そしてなぜか準決勝で敗退したザ・マミィを加えた5組が、MCのスピードワゴンとともにキングオブコントの感想などを話していく。ネタ作りの話題になったとき、スピードワゴンの小沢さんはジャルジャルのネタの作り方がすごいと大絶賛。ジャルジャルのネタは、台本を書きながら作るのではなく、遊んでいたらできるという感じらしい。そんなジャルジャルのことを小沢さんはビートルズに例えて「二人はジョンとポールなの?」と興奮していた。そして、たまたまジャルジャルの後藤がそのときに着ていた、ビートルズのアルバム「Abbey Road」のジャケットが描かれたTシャツが可愛かった。後藤って60、70年代の洋楽が好きなんかな?昔なにかの番組で、カーペンターズの「Top of the World」を抑揚なしで歌っていたのが面白かった。ああ、名曲。ネタ作りの話に戻るけど、ネタなんて自分で考えたことがないから、ジャルジャルの作り方がどれだけすごいものなのかは分からない。だけれども、とにかくスピードワゴンの小沢さんがすごいと言っていたからすごいのだろう。小沢さんはファンかというぐらい、終始、ジャルジャルのことを褒め倒していた。小沢さんのお笑い大好きな感じ、見ていてホッコリするし、本当に好きなんだなということが伝わってくる。ネルソンズもジャルジャル同様に台本を書かずに、ひとつの設定を決めて、あとは立ち稽古で作っていくと言っていた。それなのに、ネット上で台本がクソつまんねえというコメントが書かれていることに対して、和田まんじゅうがキレていたのが面白かった。

 

本(台本)でやってねえから。

じゃあ本だけ見とけと思うんすよ。

マジで腹立つんスよ。

なんも分かってねえような奴らが。

 

和田まんじゅう、魂の叫び。ネルソンズのネタは台本(ネタの構成)が特徴なのではなく、和田まんじゅうが追い込まれたときに出てくる感情をのせた一言こそがキモであるのだ。和田まんじゅうが、どれだけコントに本気になっているのかが伝わってくる。こういう風にお笑いに熱くなっている芸人を見ると、なぜ、面白くもありながら、なんだか嬉しくなってくるのだろう。彼らのこだわりが垣間見えたときに、なぜ嬉しくなってくるのだろう。その他にも、福徳が「(M-1よりも)キングオブコントのほうがちょっと軽めですね。」と言ったことや、ゾフィーのサイトウの番組中に偶然生まれたギャグ「やめなよ」(本人が押してる「チェだぜ!」は一回も出てこなかった)、ザ・マミィが来年決勝に行くであろうコンビの予想としてフランスピアノを挙げていたことなど、見所満載で面白かった。なにより、小沢さんのMCが優しくて最高でした。もちろん、ハンバーグ師匠も面白かったです。

 

そして最近、第四次Peeping Lifeブームが自分の中で起こっている。去年の今頃もハマっていたような。

 

www.gissha.com

 

夏が終わり秋が近づくと、Peeping Lifeが見たくなるのだろうか・・・。今回は聖剣エクスカリバーの回をひたすら見ている。

 


聖剣!?エクスカリバー 前編 Peeping Life-World History #12

 


聖剣!?エクスカリバー 後編 Peeping Life-World History #13

 

アーサー王とランスロットのやりとりが面白い。王のはずなのに剣が抜けないアーサー王。「長年突き刺しすぎやろ」と文句を言い出す。特に後編のやりとりが好きです。徐々にタメ口になっていくランスロット。仲良くグダグダ、ウダウダ話しているがいいですね。

 

 

音楽ではVELTPUNCHをよく聴いています。カッコいい。

 


VELTPUNCH - MOUSE OF THE PAIN

 

感動はけっこう 自身の肯定 

 

という歌詞が刺さる。この作品の素晴らしさが分かるのは自分だけだっていう肯定とか、クズみたいなキャラに感動するのは、実はクズみたいな自分を肯定したいからとか、この作品に涙を流せる純粋な自分は美しい感性をもっているという肯定とか。そんなことばっかり気にしてひねくれてるなあなんて言われたとしても、そこをあえてこの曲のように叫んでほしいときもある。っていう風に共感することは、やっぱりみんなとは違うところに気づいているという自身の肯定になる?ああ、がんじがらめ。この曲を聴くと、芥川龍之介の「枯野抄」を思い出す。

 

枯野抄

枯野抄

 

 

www.aozora.gr.jp

 

松尾芭蕉の死の淵を目の前にした弟子たちの心情を描いたこの作品。読んでいると、自意識というものを意識させられて、身動きが取れなくなってくる。物事を客観視している自分のことが、やたらと嘘っぽく、演技臭く思えてくる。例えば、いじめられている子を目にした時に、見て見ぬふりをしてしまった。そんなことを思い出し、あのとき、自分が勇気を出して助けてやれていたなら、なんてことを思ったりする。そう思ったことを誰かに話したり、ブログに書いたり、他人に発信したりするときに、果たして自分は純粋にいじめられていた子のことだけを考えて発信しているだろうか?それを発信している自分が他人にどう思われるだろうかといった視点や、それを発信することでなにか罪悪感から解放されようとしている自分を意識してしまわないだろうか。といったことを考え出すと、もう出口が見えなくなる。自分の行動を客観視する自分に気づいたとき、また、その自分を客観視しているという行為がわざとらしく思えるような、新たな客観視する自分が出てくる。客観視の客観視の客観視の客観視の・・・・。ああ、抜け出せない自意識の無間地獄。こんな作品を書いた芥川龍之介、そりゃ考えすぎて自殺してまうわと思わないこともない。

 

なんか話の緩急がえげつないことになってしまったけれど、とりあえずお笑いは最高と言っておきたい。NHK新人お笑い大賞が楽しみです。

 

natalie.mu

"今日の天使"っているよねっていう漫画(和山やま「夢中さ、きみに。」)

最近、カネコアヤノのこの動画を見まくっている。

 


DAX × lute:カネコアヤノ「天使とスーパーカー」

 

「天使とスーパーカー」、めちゃくちゃ好きだ。そして何より、この動画の開始から0:35あたりまでのカネコアヤノの表情が最高だ。なんか笑ける。別に馬鹿にしてるわけじゃなくて、見ていると楽しい気持ちになってくる。この口を一文字に結びながらも半にやけ顔でギターを弾いている姿がいい。

 

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「目線は同じだから」のところのジェスチャーもいい。

 

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「ベイベー あっしたの~」の「あっ」のときのクンッってなるとこもいい。

 

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「ドラマチックな人生かっこいい」のとこで笑顔になるのもいい。

 

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ただただいい。もう一度言うけど、なんか笑える。楽しい気持ちになる。なんて楽しそうに演奏するんだろう。そして、カネコアヤノだけが楽しそうなわけではなく、他のメンバーも含めて、4人全員が楽しそうなのだ。さらには、見ているとただ楽しそうというだけではなく、なんかカッコいいなという感情まで湧いてくる。4人全員のたたずまいがカッコいい。なんだこの無敵感は。とにかく最高だ。

 

そして、和山やまの「夢中さ、きみに。」も最高の漫画。

 

夢中さ、きみに。 (ビームコミックス)

夢中さ、きみに。 (ビームコミックス)

 

 

この漫画は、Twitterでオススメされているのを見て知った。試し読みをしたところ、一発でハマってしまった(下のリンクで試し読みできます。)。『何この漫画、最高やん。』ってなった。

 

comic-walker.com

 

すぐに欲しくなり調べてみたところ、なんと私が知ったころには初版はもうすでにほとんど残っておらず、全然手に入れることができなくなっていた。Twitterで検索してみると、欲しいけど、どこの本屋にも置いていないと嘆いている人たちの多いことよ。そして、9月に入ってようやく手に入れることができた。

 

この漫画は基本的に高校生の群像劇を描いているのだが、前半の4話には共通して林くんという男の子が出てくるエピソード、後半の4話は二階堂くんと目高くんという2人がメインとなるエピソードで構成されている。そして、この漫画の素晴らしいところは、クラスメイト同士、先輩と後輩、はたまた別の学校の生徒同士といった様々な関係性における(林くんはその時々により様々な役割を演じる。)、"友情の芽生え"の瞬間の素晴らしさを味わえるところだと思うのだ。そして、先に挙げたカネコアヤノの「天使とスーパーカー」の歌詞にもなっている"今日の天使"という言葉を借りると、誰かにとっての"今日の天使"はこの人だという瞬間が描かれている。

 

mikiki.tokyo.jp

 

上に引用したインタビューにおいて語られている、カネコアヤノの友達が「今日の天使っているよね」と言ったというエピソードにも、「夢中さ、きみに。」を読むとひどく共感できるようになる。もうこのね、「おれこいつのこと、ちょっと好きかも。」っていう感じがね、たまらなく良いわけですよ。心があったかくなるわけですよ。林くんは色んな人の"今日の天使"となっているし、二階堂くんと目高くんは、お互いがお互いの"今日の天使"として成立し合っている。ああ、いい漫画。

 

そして、こういった"友情の芽生え"といった瞬間の描写だけでなく、些細な日常会話のセリフも面白い。というか、このセリフの面白さが、キャラの魅力を立ち上がらせている面もある。江間くんのおれは小便中に話しかけられるのは嫌いってとことか、林くんが松尾さんに対して「松尾さんはおいも3兄弟の何番目ですか?」という質問、さらにはそれに対する松尾さんの「私ひとりでおいも3兄弟です」という回答。ああ、いい。魅力が凄い。高校のころに戻りたい。この漫画を読んでから高校時代に戻れたのなら、今度はもうちょっと面白い学生生活を送れるような気がする。いや、無理か。面白い会話の漫画を読んだだけで、自分にその技術が身に着くとはとうてい思えない。でもなぜかそう思ってしまう。スラムダンクを読んだ後に、なんかバスケができるような気になるのと同じ現象が起きてしまっている。まあなんにせよ、和山やまさんの「夢中さ、きみに。」は素晴らしいマンガでした。もはや何回も読み直しています。

 

秋の寂しさはどこから来るもの?(ASIAN KUNG-FU GENERATION「転がる岩、君に朝が降る」)

ただの日記を書きます。気づけば8月も最終日。ただ今実家に帰省しておりまして、こんなタイミングで夏休みをもらっても、友人たちは働いているからすることがない。でも家にいても仕方が無いので、自分が中学生、高校生だったころによく通っていた道をその当時よく聴いていた音楽を聴きながら歩くという、まあまあキツめの散歩を敢行することにした。この「キツめ」という言葉の意味は、読んでくれた方それぞれの解釈をしていただければ幸いです。8月も最終週に入ってからはだいぶ涼しくなってきて、散歩をしていてもそれほど汗をかかなくなった。もう夏も終わりなのかと思ったりもするが、テレビの天気予報を見ていると来週から暑さがまた戻ってくるらしい。夏が終わると思うと寂しい気もするが、一度涼しくなったのならそのまま季節が進んで欲しいとも思う。まあいずれにせよ、いつでもいいなあと憧れる季節は、今現在の季節ではなく、少し先の季節なのだ。

 
自分が中学生だったころにリリースされた曲、よく聴いていた曲をシャッフルで聴きながら歩いた。今日は小雨が降っていて、雨上がりを歩いていると雨のにおいが鼻をついた。そうすると、中学生の頃の、雨が上がった日の部活のことを思い出した。雨上がりにグラウンドを整備しているときは、いつもこのにおいを無意識に嗅いでいた気がする。グラウンドを整備し終わった後には、ほとんど部活をする時間が残っていなくて楽しくなかった。それに、せっかくグラウンド整備をした次の日に雨が降るなんてこともざらにあった。自分達は阪神園芸並みの整備スキルも持っていなかったし、そんなに良い土でもなかった。それに加えてやる気も無かった。ないないないの三拍子が揃っていたから、雨の日の次の日は、まあ本当に楽しくなかった。それなのに思い出として振り返る当時は、そんな自分達のことさえも愛しく思えてしまうので、思い出補正とは本当に恐ろしい。星野道夫が著書「ノーザンライツ」において、

 

ノスタルジアからは何も新しいものは生まれてはこない。自然も、人の暮らしも、決して同じ場所にとどまることはなく、すべてのものが未来へ向かって動いている。

 
と書いていたが、果たして自分は未来へ向かって歩いていけているのだろうかと思ってしまう。いや、こんなキツめの散歩を敢行している時点で現在、未来と向き合えていないのは明らかである。

 

ノーザンライツ (新潮文庫)

ノーザンライツ (新潮文庫)

 

 
それにしても、音楽を聴いたり、においを嗅いだりして昔のことを思い出すたびに、五感と記憶の関係がいつも気になる。それっぽいことを調べては「ふ~ん。」となんとなく分かった気になり忘れてしまうということを繰り返してきた。これも良い機会と思い、ちゃんと調べてみよう。ということで調べてみたところ、どうやら記憶と一番強く結びついている感覚は嗅覚のようだ。

 

www.sankei.com

 

五感のうち嗅覚のみが、脳において記憶を司る大脳辺縁系に直結しているためとのこと。それでも調べているとそれっぽい学術論文等を引用したサイトは見つからなかったため、詳細を知るためには専門書等を読んだ方が良さそうだ。果たしてそこまでするのか私は・・・。

 

散歩を始めたのはお昼も回った比較的遅い時間ではあったが、途中で喫茶店で休んだりしていると実家の近くまで戻って来た時間が18時ぐらいなり、結構遅い時間になってしまった。夕方になるとより一層涼しくなってきた。これまたひとつ思うのだが、夏から秋へと季節が変わるとき、なぜ少しだけ寂しくなるのだろうか。涼しくなることが何か関係しているのだろうか。ということでこれも調べてみた。

 

news.livedoor.com

 

気温の低下が生命維持において不安を抱かせやすくなること、日照時間の低下が精神の安定に作用するセロトニンの分泌を低下させることが関係しているらしい。一日中家に引きこもって、全く陽に当たっていない日は、別に寂しくも切なくもならないけど、人間として何か大事なものが欠けていっているのだろうか。それでも秋が近づいてきて寂しさを感じている間はまだ大丈夫だと思いたい。そしてこの時期、やたらとアジカンの「転がる岩、君に朝が降る」を思い出して聴きたくなる。

 

転がる岩、君に朝が降る

転がる岩、君に朝が降る

 

 

 

昔のことを思い出して感傷に浸っていると、

 

初めから持ってないのに胸が痛んだ

 

の部分を思い出す。なにかを失ったような喪失感に胸を刺された気になっているけれど、そもそも失うようななにかを持っていたっけ?この感傷はどこからくるものなんだろう?それが分からないから、ずっと繰り返しているんだろうけど。


そんなことを考えながら歩いていると、空もだいぶ暗くなってきた。2019年の8月31日は18時50分頃が夕方と夜の境目のようだ。西の空にはまだ少しオレンジ色が残っているが、反対の東の空は明るくない。自分の前を歩いている人がいるが、こっちに向かって歩いているのか、同じ方向に向かって歩いているのかが分からないぐらいの明るさ。実家に到着し、玄関の鍵を開けようとすると、鍵穴に一人暮らしの家の鍵を刺そうとしてしまった。今日は自分の昔を振り返ってばかりであったが、この瞬間、今の生活はこことは違う場所で営まれているということをはっきりと意識させられた。夏休みも終わりです。

 

そういえばモノポリーってしたことがない(Alfred Beach Sandal「モノポリー」)

朝の通勤途中、公園に小学生たちが集まっている様子をよく目にする。なんといっても彼らは絶賛夏休み中だからね。朝からみんなで集まって遊ぶのって楽しかったよな。お昼に一回解散して、ご飯食べてからもう一回集まるとかあったな。あのころはお昼ご飯を外で食べるお金なんてなかったから、いちいち一回帰ってたよな。今思うとよくもまあそんなにめんどくさいことをしていたなと思う。今なら一回家に帰ってしまったら、「ああ~」って声を出しながら寝ころんでしまい、もう外に出る気は失せてしまうだろう。朝でも十分暑いもん。そんな公園に集まる小学生たちの様子を見ていたら、GRAPEVINEの「真昼の子供たち」を思い出した。

 


真昼の子供たち

 

 

でかい当たりを掴んでしまった

世界を変えてしまうかもしれない

毎日があっという間に終わった

油断すると大人になっちまう

 

油断してた~。大人になっちまった~。それにしてもいい曲。まあ私が目にしているのは朝の小学生たちやけど。彼らもでかい当たりを掴んだ気になって、世界を変えてしまうかもしれないとワクワクするような夏を送っているんだろうか。い~や、送ってないね。そんなん考えずに遊んでいるね。でも楽しそうでなにより。

 

半袖半ズボンで遊んだあの少年時代の日々。大人になり、数年前にメンズファッションで半ズボン(ハーフパンツがシャレオツな言い方でしょうか)が流行したときに、自分も服屋で試着してみたけれど、試着室の鏡に映った自分の姿が気持ち悪くて結局買わなかった。なんで気持ち悪かったんだろう?履いている人を見て気持ち悪いなんて思うことはないけれど、自分が履いている姿を見るとそれはそれは気持ち悪かった。弱そうだった。めちゃくちゃ防御力が低そうだった。自分のことが嫌いだから?いやいや、自分のことが可愛すぎるから、理想と現実のギャップを受け入れられないだけなんだろう。なんて大げさなことを考えたけれど、とりあえず似合ってなかっただけだと思う。ホンマに純粋に筋肉量が足りずに弱そうに見えただけだと思う。私もムキムキになりたいけれど、そのための努力をする気はない。つまり一生、ハーフパンツを履くことはないだろう。フェアウェル、ハーフパンツ。

 

私にも与えられた小学生たちと比べたら雀の涙ほどの夏休み。というか盆休み。何日か友達と飲みに行ったけれど、あとはほとんど家でゴロゴロしていた。夏休みなのにゴロゴロしてばっか。

 


Alfred Beach Sandal "モノポリー"

 

 

そう思うとモノポリーってしたことがない。人生ゲームと似たようなものなんだろうか。調べてみた。

 

yanodaichi.com

 

不動産の取引や土地の売買をしながら資産を増やしていくすごろくゲームのようだ。人生ゲームと比較して、実際にプレイヤー同士で交渉して取引を上手く行わなければ勝てないらしい。あんまり自分の周りを見てみてもモノポリーをしている人はいないし、「モノポリーしようぜ」といった展開になったこともない。桃鉄ばっか。おんなじジャンルにくくっていいのか分からないが。ただ、日本においてやはりモノポリーはそれほど人気があるわけではなく、それには以下のような理由が考えられるそうだ。なんでもモノポリーは、資産を形成するためにお金の使い方を考えながら進めなければならないゲームであり、世界と比較して日本ではそのような考え方を必要とする「投資」を日常的に行っている人が少ないため、それほど流行していないということらしい。なるへそ。実際、日本におけるモノポリー人口はそれほど多くはないようで、日本モノポリー協会のHPは、単独のHPとして運営されているのではなく、糸井重里が主宰を務める「ほぼ日刊イトイ新聞」のHPを間借りして運営されている。

 

www.1101.com

 

最近は友人がボードゲームにはまっており、実際に一緒にやってみると面白いものが結構多い。この機会にモノポリーを提案してみてやってみようかな。なんせ外に出ると暑いし、家の中はクーラーが効いてるし。子どもは子ども、大人は大人の遊び方がそれぞれにあるよね。これが大人の遊び方なのかは何とも言えないが。

 

そうそう、そして、Alfred Beach Sandalといえば「Typhoon Sketch」。

 

 

ちょうど台風10号が近づいてきている。台風が迫ってきているときに感じる、謎の高揚感を歌ったこの曲。確かに小学生のころは、台風による非日常が自分を妙なテンションにさせていた。それは警報によって学校が休みになるかもしれないってことも影響していた。台風といえばそれ町を思い出す。最終巻の「嵐と共に去りぬ」もいいけど、5巻の「大嵐の夜に」のほうがより身近な内容となっていて好きだ。

 

それでも町は廻っている(5) (ヤングキングコミックス)

それでも町は廻っている(5) (ヤングキングコミックス)

 

 

それでも最近の現実世界の台風は、割とシャレにならない規模の爪痕を残して去っていく。去年はおそらく隣の部屋の人のサンダルが私の部屋のベランダまで飛んできていた。明日、明後日、台風が何事もなく過ぎ去ってくれることを祈るばかり・・・。

 

旅行代理店の前を通るときの気持ちと、うしろのほうの海

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旅行代理店の前を通るたびに、店の前に出されている様々な旅行先のパンフレットが気になってしまう。そして、旅行に行けたとして年に最大2~3回ぐらいかなあと考えると、この先いろんなところに旅行に行くためには全然時間が足りないじゃないかと思う。この夏、どこかに旅行に行きたいなあ。そして、去年の夏の旅行のことを思い出す。8月に行った旅行、暑すぎて楽しさよりもしんどさの方が勝ってたんじゃないか。もちろん思い出の中では楽しいものになっているんだけれど。そんな夏の旅行のことを考えていると、1ヶ月以上の長期休暇なんてこの先の人生においてもう全然訪れないんだろうなという、おそらくこれまで何人もの人が考えたことのあることを、ご多分に漏れず自分も考えてしまった。そんなことを考えたからって、夏休みをたっぷりとれるような人生に変えようとどうこうするつもりはないけれど、急に精神的にしんどいなあなんて思ってしまった。かといって、膨大な時間を与えられていた大学時代の夏休みを有意義に過ごせていたかと問われれば、イエスとは答えられない。そして、仮に今の自分がタイムスリップして大学時代の夏休みを過ごせるようになったとして、何をしたらいいかは全然思いつかない。う~ん、悲しいね。でも、これに似たようなことは毎週末味わっていて、休日が始まったばかりの土曜日はダラダラしてしまい、休日が終わろうとする日曜日の夜に『ああ、この休日の間にあれやっとけば良かった・・・。』なんて思ってしまう。そしてこの経験が次の週の土日に活かされることなんてほとんどない。タイムスリップしても、私は今の私とさほど変わらない人生を歩んでしまう気がする。それどころか今よりも・・・。


土曜日に、スズリという誰でも簡単にオリジナルデザインのTシャツを作成して販売できるサイトを眺めていた。

 

suzuri.jp

 

いろんな人たちが、オシャレであったり面白かったりするTシャツをデザインしては販売している。そんな中、販売を目的としているのではなく、誰かが誰かに個人的にプレゼントするためにデザインされたTシャツを時折見つける。多くの人に受け取ってもらおうとかそんな考えは一切感じられない、ただプレゼントする人ひとりのために考えられたデザイン。おそらく仲のいい友人の若い頃の写真や、その人たちにしか理解できないメッセージが載せられたTシャツ。明らかにその他のTシャツと違って異質であり浮いている。それらのTシャツがやたらと目につくのと同時に、なぜか憧れのような感情を抱いてしまう。


そんな風にスズリを眺めながら、Lantern Paradeの「花」を聴く。

 

 

ビートルズのハーモニーもスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンのファンキーもカーティス・メイフィールドのメロウネスも夢中にならない人のほうが遙かに多いという歌詞。確かに周りにはビートルズは知っていても、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンとカーティス・メイフィールドは知らない人の方が多い。そして自分自身、ビートルズのハーモニーやスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンのファンキー、カーティス・メイフィールドのメロウネスに夢中になっているかと言われれば、そんなことはない。それでもおそらく、自分は周囲の友人よりは色んなアーティストを知っている方であり、そんな自分よりももっと色んなアーティストを知っている人たちは当たり前のようにたくさんいて、そしてさらに、その人たちよりももっと詳しい人たちがいて・・・。色んな作品を知っていなくても、自分にとって意味のある作品だけを知っていたらそれでいいんじゃないかと思うこともある。それでも外から見れば、もっと世の中には良いものがあふれているのにと思われてしまうんだろうか。私たちはどこまで行ってもすべての作品を聴いたり、見たり、触れたりすることはできない。そんな事実に途方もなさを感じる。それに加えて、私にとっては人生を変えうるほどの決定的な作品であったかもしれないのに、日の目を浴びずに埋もれてしまった作品もこの世にはあったのだろうかということまで考えてしまう。売れなかったから埋もれてしまった作品。世間の人には受け入れられなかったけれど、私個人には刺さっていたかもしれない作品。とはいえ、そもそも何かに人生を変えられるほど私は感受性が豊かなのだろうか。私には他人にオススメされた作品を素直に受け入れることができないところがある。自分にとっては良い作品とは思えないから、それはもうしょうがないことだと思ってしまうんだけれど、逆に自分の好きな作品の良さが友人に伝わらないときは、本当に理解できない気持ちになる。『なんでこんなに良いのに、面白いのに、素晴らしいのに分からへんねやろう?』って。私は、心のどこかで自分自身の感性は絶対であると信じているんだろう。それは傲慢なことなのだろうか。でも、自分の感性が信じられなくなったら生きていけないじゃないかって思うこともある。そして、友人たちも私が彼らからオススメされたものの良さが分からないときに、同じような感情を抱いているんだろうか。思ってんだろうね、多分。


日曜日には、永田紅の「ぼんやりしているうちに」を読んだ。

 

ぼんやりしているうちに―永田紅歌集 (21世紀歌人シリーズ)

ぼんやりしているうちに―永田紅歌集 (21世紀歌人シリーズ)

 

 

夏に長らく海に行っていない。嘘。沖縄には結構行っていて、そのたびに海には入っている。でもそれはマリンスポーツの類いであり、海水浴は長らくしていない。それでも永田紅の短歌の

 

袋から出すときタオルのあたたかく湿りて海はうしろのほうよ


で思い出される感覚が確かにある。私はあの湿ってあったかい水着とかタオルが気持ち悪くて嫌いだったな。でもこの歌を読んで、あのあたたかさは、先ほどまで入っていた海を引き連れていたんだということに気づかされた。海はうしろのほうよという部分からは、海水浴を終えて海から遠ざかっていく物理的距離とともに、もう入らなくなり思い出すだけになってしまった海との心理的距離を私は感じてしまう。夏のノスタルジー。春にも秋にも冬にもそれぞれのノスタルジーを感じている気がするけれど。andymoriの「すごい速さ」の歌詞

 

そのセンチメンタルはいつかお前の身を滅ぼすのかもしれないよ

感傷中毒の患者 禁断症状 映画館へ走る


の部分を聴いて、自分は感傷に浸りたくて無理矢理いろんなことを思い出そうとしてるんじゃないかって思うときがある。

 


andymori "すごい速さ"

 

それでもやめられないから、自分はもう感傷中毒の患者なんでしょう。いつからなんだろう。

 

学生の最後の年となりぬれど牛のようには懐古するまい  永田紅

 
学生じゃなくなって、はや数年です。